自己愛性人格障害(102) 責任逃れの基本パターン その2

人格障害者の心理を云々と推測することに意味はない。人格障害は人格障害で、常人の思考とは構造が異なるので、理解することは無理だし、意味がない。なので、思考とは別に、前回「(101)責任逃れの基本パターン」を例に、責任逃れの一つとして、その基本的な手口を解説しよう。

前回の「(101)責任逃れの基本パターン」において、普通の人は、人格障害者ウッキーの方がおかしい、稲増さんは濡れ衣だということが理解できるであろう。普通の人は。しかし人格障害者ウッキーは、マジで言っているのである。嘘をついているのではないのである。物事が進行しているどこかのタイミングで否定する言葉を言っておくと、その結果の責任から逃れると考えている。例えそれが自分から言い出したことでも、である。

前回のカレーとハンバーグの例の場合は、人格障害者ウッキーは、実はマジでカレーが食べたかったのである。だから、稲増さんがカレーが好きではないと言ったところで、相手の意見に耳を傾けることはない。自分がどうしたいか、それしかない。自分の思い通りにならないと、理由なくウッキーッ!となり、稲増さんは引いてしまい、そこまで言うならと譲歩している。

そこで、二人で材料を買いに行くことになった。余談だが、買い物に行ったら、人格障害者ウッキーは、財布を忘れたとか何とか言って、稲増さんに出させたに違いない。お金に執着するのも人格障害者の特徴の一つである。さらに人格障害者ウッキーは「わたしもお金を出した」と嘘をつく。

人格障害者ウッキーの希望通りカレーを作ることになった。カレーの材料も買ってきた。コンロに火を入れた。後は作るだけである。ここで人格障害者ウッキーの頭によぎるのは何であろうか。ひとつは、カレーを作ろうと言い出したのは自分であること。そしてもうひとつは、稲増さんがカレーが好きではないと言っていたこと。この二つが、懸念事項として頭にあったに違いない。どんな些細な責任もとりたくないのが人格障害者である。後戻り出来ない状況を確認し、否定の言葉を入れておくのである。「やっぱりカレーじゃなくて、ハンバーグにしない?わたし本当はハンバーグが食べたかったの」。本心はカレーが食べたいのである。しかし自分がそれを言い出したことにしたくないので、ハンバーグでも何でもいい、とにかく違う物を挙げたに過ぎない。

当然、稲増さんとしては、自分が嫌いだと言ってるのに、人格障害者ウッキーが無理矢理カレーにしたんじゃないか。材料も買ってきたではないか。あとは作るだけではないか。今から他の物を作るなんてできない。この期に及んで今さら何を言うのか、という心境であったろう。しかし、常識人の稲増さんは優しく「今さら何を言うのよ。早くカレーを作りましょ」と言う。これが人格障害者ウッキーの代表的な手口なのである。後戻りできない状況になってから、反対のことを言って責任逃れの布石を打っておく。自分が反対したのに、相手がやろうと言ったという状況を作っておく。

ここまでの流れを見ても、普通の人は、稲増さんが嫌がってるのに、人格障害者ウッキーがゴリ押ししてカレーにした、稲増さんが譲歩して、人格障害者ウッキーの希望通りにしてあげた、と思うだろう。ところが、この時点で既に、人格障害者ウッキーの頭の中では、「わたしは反対したのに、稲増さんが無理矢理カレーにしようと言った」になっているのである。なぜこういう考えになるかは説明できない。それが人格障害者だから、としか言いようがない。人格障害者ウッキーは、マジでカレーが食べたかった。そして自分の希望通りカレーを食べることになり、責任は相手という、まことに都合よい考え方になるのである。

さてカレーが出来た。仮に、カレーが好きではない稲増さんが、「ああ美味しい。これなら食べられるわ!」と喜ぶと、「ほら、わたしの言ったとおりでしょ!」と自慢話になるのだが、今回は不評で稲増さんはやっぱり食べられず残してしまった。そこで人格障害者ウッキーは「だから、私はカレーじゃなくて、ハンバーグにしようと言ったじゃない! 」と、(常識人から見て)逆ギレをしている。

好評だったら自分のおかげ、不評だったら相手のせい、どちらのケースでも対応できるように言い訳を用意しておくのが人格障害者である。カレーは嫌だと言ってるのに、無理矢理カレーにしようと言ったのは人格障害者ウッキーである。それを、よりによって、最初カレーが嫌だと言っていた稲増さんが、人格障害者ウッキーに反対してまでカレーにしたことになっている。

さらに、これが話が大きくなると、まわりの人に「わたしが反対したのに、あの人がカレーにしようと言ったのよ!」と、責任転嫁して、悪口を吹聴するようになる。何度でも言おう。これが、人格障害者の頭の中では整合性がとれており、なんら矛盾することなく、嘘をついていると微塵にも思っていないのである。本当にそう思っているのである。嘘を本当のこととして頭で変換される、これが人格障害者と虚言壁の場合の大きな違いである。

Follow me!

8 thoughts on “自己愛性人格障害(102) 責任逃れの基本パターン その2

  1. PIZARO より:

    自己愛性人格障害(キチガイ)は、良い事と悪い事が全部アベコベです。
    自己愛性人格障害(キチガイ)である彼ら彼女らと、初めて
    会話をした人は気付きませんが、何度も何度も顔を合わせて
    いるとブログ主の言うとおり、『お決まりのパターン』が見
    えてきます。
    自己愛性人格障害(キチガイ)の行動は、道徳の非常識がずばぬけており最初は面食らいますが、よく見ると『ワンパターン』なのです。
    バカ(自己愛性人格障害)は死ななきゃ、『世の中が』治らない。

  2. せんち より:

    *** PIZAROさん
    一応、人格障害者の連中にも、
    良いことと悪いことの判別はあると思うんですね。
    だから、悪いことを指摘されるとウソをついたり、
    他人に責任転嫁したりするのではと思っています。
    一応、善悪の区別を、それをするしないは別として、
    あるにはあるのだなと思いました。
    まあ、バレなきゃやってもいい、くらいには思っていますが。
    本当に、人格障害者は死ねばいいのに。

  3. はなこ より:

    >後戻り出来ない状況を確認し、否定の言葉を入れておくのである。
    「やっぱりカレーじゃなくて、ハンバーグにしない?わたし本当はハンバーグが食べたかったの」
    本心はカレーが食べたいのである。
    >後戻りできない状況になってから、反対のことを言って責任逃れの布石を打っておく。
    懇切丁寧に説明していただいたおかげで、以前不可解な思いをした出来事がようやく理解できました。
    カレーとハンバーグの喩えで続けます。
    それまで、ずっと「カレーにする!」とがんばっていた人格障害者が、土壇場になって、手のひらを返したように、「カレーじゃなくて、ハンバーグにしたいんだ。」と言い出しました。 普通の人なら、「何をいまさら...」ということになるところでしょうが、私は柔軟というかテキトーなところがあるので、いささか不審に思いながらも、「ハンバーグにしたい」という言葉を真に受けて、「じゃあ、そうしましょうか。」と言ってしまったのです。さらに、御丁寧にも、「では、ジャガイモとにんじんは付け合せにして、たまねぎはみじん切り。牛肉は手回し式の小型ミンサーがあるから、それでミンチにできるし、幸いパン粉と卵もあるから、大丈夫ですよ。ちょっと手間はかかるけど、ハンバーグにしましょう。」などと、カレーからハンバーグに変更する具体的なことまで、伝えたのですよ。そうしたら...
    「誰がハンバーグなんか食べたいものか!」と急に怒り出したのです。逆ギレもいいところでしょ。
    ...それで、結局カレーになりました。
    私は、「ああ言ってみたり、こう言ってみたり、これだから『2歳児』(人格障害者は、現在何歳であっても、『魔の2歳』=いわゆる、第一反抗期 になんらかの発達障害を起こして、自他の境界ができる3歳児の精神にまで到達できなかった人間だと、私は解釈しています。)は困るなあ。」と軽く考えていたのですが、せんちさんの
    >実はマジでカレーが食べたかったのである。
    を読んで、ああそういうことだったのかと、ナットクできました。
    カレーにした責任を私に押し付けたかったのですね。それを、私が、「じゃ、ハンバーグでもいいわよ。」と返事をしてしまったものだから、人格障害者も思惑が外れて、面食らったのでしょう。それで、「ハンバーグにしたいんだ。」と言った舌の根も乾かぬうちに「誰がハンバーグなんか食べたいものか!」と怒り出したのですね。あーあ、やれやれ...です。
    ちなみにカレーはおいしくできあがりましたが、人格障害者はカレーを物凄く不味い失敗作にしようと画策していたことを、私は知っています。(そのほうが、責任の押し付け甲斐あるということ???)

  4. せんち より:

    *** はなこさん
    そうそう、ここがポイントなんです。
    本当はカレーを食べたいんです。
    だから稲増さんが嫌と言ったのに無理にカレーにしたんです。
    だけど責任取りたくないから、
    なんでも相手から望んだことにしようとするんです。
    上手くいったら「私がカレーにしようといったのよん」で、
    上手くいかなかったら「だから私は反対したんだ」と言う。
    両方言い逃れ出来るようにしておく。
    はなこさんのように、言う通りにされたら、逆に困るんです。
    だってカレーが食べたいんだから。
    だからこそ逆キレしたんでしょう。
    だからこそ、人格障害者ウッキーは、
    いつも後戻りできない状況を確認してから、
    「本当は反対なんだけどね」と言っていました。
    本当はそうしたい。
    そうされないと困る。
    *****
    ちょうどマギー四郎の手品を思い出してください。
    「好きな果物を出しますよ」と言いつつ、
    「リンゴ!」と言うと「リンゴは今売切れなんだな~」
    「みかん!」と言うと「みかんはちょっと季節じゃないな~」
    「バナナ!」と言うと「そうね、ではバナナを出しましょう」
    最初からバナナしか用意していないのに、
    さもお客様からバナナを出してと望んだことにしてしまう。
    もちろん、これはネタでお笑いの要素で、
    芸のひとつなんですが。
    よくわからん例えを出して申し訳ないです(笑)
    要するに、自分が望んでいることでも、
    相手が望んだことにするという形を取ろうとするのです。

  5. 蘭丸 より:

    >さもお客様からバナナを出してと望んだことにしてしまう。
    ちょっと違うかもしれませんが。。。
    危惧している事があります。
    兄の家庭と友人の家庭で共通点がありました。
    兄の家庭では兄嫁が教育に口うるさく、友人の家庭では友人が教育に口うるさかった光景を目の当たりにしました。
    2年後くらいに兄の子が中学受験をするそうです。
    友人の子は5年後に某大学を目指しているらしい。
    どうやら彼らの子供達が「自分から言い出した事」らしい。
    自己愛の被害に遭った事のある人なら上記「」内の意味が解ると思います。
    兄嫁は片付けられない人らしい。これで何度か兄と衝突していて、私的にはこれは発達障害の気が考えられ、友人は友人でどうもどこか努力の方向が違うと思えるところがあったり、詳しくは書かないが他力本願な部分(つまり自分で責任を取らないという事)もあったりしてどこか抜けている。(私に実害が無いので深く関わらない)
    この1週間で偶然にも兄嫁と友人の教育の光景を見る機会があり凄い恐怖と衝撃を感じた。
    自分から言い出したと聞いた時、私が真っ先に思った事は「言わせたんじゃないの?」だった。
    でも証拠がない。
    確かに子供が「自発的」に言ったであろう。でも言わねば親の自己愛的な感情が収まらないから言ったのではないか?と思ってしまった。
    なぜならとても子供を私有する「支配的」な物を私が感じてしまったから。。。
    そして別の友人も一緒に同じ感情を抱いたから。
    甥と友人の子の将来が私の杞憂で終わればいいのだが。。。
    私は子供がいないので友人らの子育てを見るたびに衝撃を受けはするのだが、今回は次元が違った。
    子育てはもっと楽しい感情の交わりなのではないか?もっと楽しそうに子供は気楽に感情のあるままにいるものではないか?と思ってしまう。
    でもそんなに甘いものではないのであろうか?
    私には子供がいないので説得力はないのだが。。。

  6. 元スネ夫 より:

    蘭丸さん
    横から失礼します。
    危惧されていること、残念ながら杞憂ではなく九割方当たっていると思います。
    直接関わっていない人間が、お客として断片的に見ただけで何か感じ取れるくらいだから相当マズい状況でしょう。
    こういう話を聞くと他人事でも悲しい気持ちになります。
    >どうやら彼らの子供達が「自分から言い出した事」らしい。
    >確かに子供が「自発的」に言ったであろう。でも言わねば親の自己愛的な感情が収まらないから言ったのではないか?と思ってしまった。
    教育熱心な親が皆そうだとは思いませんが一定数は、子供との距離感がゼロ、尋常じゃない執着をしていると私は思っています。
    そういう家庭環境で育てられたら、大抵の子はおかしくなると思いますね。
    親自身が独りで過ごせないため常に子供に張り付いて、その優位な立場から一方的にストレスを与えるし、精神的な成長の機会も奪ってしまうからです。
    統合失調症と鬱病が非常に心配です。

  7. 自己愛夫 より:

    父の死後、私も片付けられない人になってます。
    私は教育ママではないので、もう少し教育ママになっても・・・とは思いますが、子供たちの望むようにさせているので、どうかなあとも思いますが。
    夫は平日の夜や休日は録画したアニメを見たり、寝たり。子供に「勉強をしろ」と怒るだけで教えません。それでいて私が教えて、たまたま点数が採れないと、子供だけでなく私にも嫌味を言います。 先日、洗濯ネットが壊れていたのも、自分のせいではなく、私のせいのように言われました。いつもこんな感じなので、少しいらっとしますが・・・。何もかも、悪い事は私・良い事は自分っていう感じです。
    無責任で、文句だけ言い、自分が望んでいることも相手が望んでいることにしたり、こんなのと居ると真面目に生きていくことがバカバカしく思えてくる。私は夫だけでなく母にもコントロールされてきたから、頭が変になりそうな時もあるけど、みなさんのコメントを読ませていただいて、自分を取り戻そうとしています。

  8. あいうえお より:

    私の場合
    アレはどうしようもない奴に困らされてるワタシとアピールできる瞬間においてのみ遺憾なく責任感を発揮しておりました。私に雑用を押し付けたのがバレてヤツが注意を受けた時は色んな人に嘘を吹き込みアイツ(私)は雑用をしていなく、私が雑用を押しつけられている!と逆の主張をし、周りも何故かそれを信じるので、そうなのか?と一瞬自分を疑いましたが今は人格障害の症状出てます、相手はキチガイです、逃げましょうと思うだけです。
    この障害を持った方の自分をいい人間とアピールする執念は私には理解できないです。
    嫌いな相手がいるときもわざわざ私にその人の悪口を言ってきます。理由は分かりませんが妙な違和感はありました。一度だけ、自己愛が私に悪口をいう、私「へ〜そうなの」と言ったあと、自己愛が悪口言った相手に○○(私)がこれこれこういう風に言っていました、と自己愛が悪口を言ったのに私が悪口を言ったことにして報告してるのを目撃したことがあります。そのとき、私は今はアレは人格障害でありその症状だと分かりますが、そのときは得体の知れない異様に世渡りが上手いというかなぜ私はこんなに悪人に仕立て上げられるのか、その様な経験が今まで無かったので対処の仕様がなく、ただ思考停止に陥ったのだけ覚えています。
    その後も何度も嫌いな人が居ると私に悪口を言ってきました。が、私が悪口を言ったことにして報告してるのを見たのは一回きりです、が一度上手く行ったことは何度も使うと思います。私は自己愛と居た頃関わった人にはとんでもない悪人と思われております。カンのいい人はあれがおかしいと気付いておりましたがね
    嫌いな相手に文句を言える、けれども自分は悪口言ったことの責任はとらなくて良い、タゲが取るからと(笑)
    書いててくだらないと思うし当時もくだらないと思ってましたがこのブログにある通り、くだらないことの積み重ねがタゲを自覚ないまま病ませると思われます。
    一体人格障害は他人を何だと思ってるんでしょうか?
    嘘ついてバレたら、というか私が「え、それさ…」と指摘したら被害者ぶる、いじめられたかのように被害者ぶる、事情をよく知らない人に泣きつき、私は人を見下しバカにすることにされる…、あなたが嘘ついたり人を見下してたのは何処行ったの。?????
    他人は全て大昔の黒人奴隷、で私は白人だから偉いくらいに思ってるのか?とすら思えるほど偉そうでした。得のありそうな人相手や得のありそうな人が居るときにおいてのみ腰の低い良い人(アピール(笑)のため)、ヤツの頭には人間的な理性はない。だから、低能なくせに対人操作と損得勘定においてのみは天才的でした。  
    一体人格障害は他人を何だと思ってるのでしょうか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です