自己愛性人格障害(003) 直感を信じろ

ワシは普通一般の家庭に育った。今となっては、それがどんなに恵まれている事かを実感している。両親がいて、祖父母に可愛がられ、大学まで出させてもらった。いじめにあう事も加担することもなく、友人に恵まれて今に至る。もちろん心に負担に思っていることはあるが、それは誰もが持つ一般的なことであり、総じて幸福な人生ではないかと思う。そう思わなければ両親に申し訳ない。何を言いたいかというと、ワシ自身が世間一般の常識、良識を伴っているという前提で話をしたいのである。

もちろんワシの文章を読んで、コイツおかしいと思う人もいるかもしれない。しかし基準を設け、そこからの乖離の度合いを語るのに、その基準は自分しかない。

さて、ワシが出会った人格障害者ウッキーは、話を聞くと普通の家庭ではなく、不幸な過去を背負っている、と本人は言う。しかし、これが自己愛性人格障害特有の、いわゆる"不幸自慢"という可能性もある。同情を引いて関心を得るのは人格障害の典型である。そこで可哀想だと情けをかけてはいけない、いけなかったのである。

人格障害者ウッキーは「母親がトイレで首を吊って自殺した」「幼いころ夜逃げしてきた」、こういう話を"自慢気に"よくしていたが、これもどこまで本当かわからない。またいつもの如く同情を買うための、虚言による不幸自慢だと思われる。じゃなかったら嬉々としてドヤ顔でこういう話はしないだろ。

これから、一般論と具体例を挙げつつ、この人格障害について考察していきたいと思う。

Follow me!

2 thoughts on “自己愛性人格障害(003) 直感を信じろ

  1. ウボァ より:

    >動物的なカンは論理より正しい
    これは確かに科学的根拠があります。
    例えば認知症になった人はこの手の善人と偽善者とを見分ける能力が高いと言われています。
    これは認知症によって理性的な能力が低下したことによって相対的に動物的本能が開放され、それによって扁桃体による防衛本能がより強く現れるから、とされています。
    原理的には自己愛が自己保身上手になるのと同じです。

  2. ラポール より:

    自己愛の友人に悩んでいた所、このサイトに辿りつきました。
    実例や細かな特徴などの記載、非常に共感を感じながら読ませて頂きました。
    この自己愛の方と接した時の、違和感の直感を信じればよかったと思い後悔しています。  人を見た目で判断すべきでない、完璧な人はいない、悪い所じゃなく良い所を見よ、私の悪い所がそうさせている…と言う風に自分自身に言い聞かせてきました。 結果、社外人クラブ内での孤立?となってしまいました。
    今は、その友人とは連絡を取り合っていませんが、ブログの監視や共通の友人を介しての情報収集、ヤフオクIDのチェックなどを行っているのが確認出来ています。自分自身がオカシイのか?神経質なのか?と少し参ってます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です