自己愛性人格障害(409) 被害者の仮面を被った加害者 2

ワシの親類で中学校の教員をしている人がいる。大学時代に柔道をやっていて「素手なら3人まで相手にできる」と豪語しているくらいガタイが良いため、いわゆる不良生徒たちも素直に指導に従うという。その人が言う。「今は生徒だけでなく、親の方も教育が必要だ」。モンスター・ペアレンツという言葉が近年話題となっているが、学校の現場で保護者対応は想像以上に難しいようだ。ワシの時代ですら、先生は偉い人で、先生の言うことをきちんと聞きなさいと言われていた。教育指導の過程で生徒を殴る先生もいたが、その是非は別として「先生に殴られることをした方が悪い」という認識が親にも生徒にもあったように思う。しかしそのような教師の威厳は喪失し、今や保護者が先生を値踏みする時代である。ワシの親類は野球部の顧問をしているのだが、「なぜウチの子がレギュラーじゃないんですか!」と親がクレームを入れてくるというから恐ろしい。

さて、最近読んだ本を2冊紹介したいと思う。いずれも市井の一市民が、人格障害者によって突然犯人に祭り上げられる事件が描かれている。双方とも学校が舞台で生徒の親が加害者で教員が被害者という立場である。これは偶然ではなく、おそらく大なり小なり全国の学校で生じている問題で、保護者を尊重し逆らってはならないという教員の立場が悪循環となった、現代の学校ならではの構造的な問題が露呈したものだという感想をワシは受けた。それが以下の2冊である。

でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相―
モンスターマザー―長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い

同じ著者によるこの2冊は小説ではなくノンフィクションであり、実際にあった事件である。交通事故のように、こちらに非がなくとも、ある日突然人格障害者に狙われるリスクがあり、その結果がどうなるか、非常に恐怖を覚えるルポタージュとなっている。そして共通しているのが、加害者と被害者が逆転していく様が詳細に描かれている点である。被害者の仮面を被った加害者がいかに厄介なものなのか、そして自分の冤罪を証明していくことがいかに困難か、というのがよくわかる。さらに人格障害者がいかに嘘をつくか、何もないところから被害をでっちあげる様子、加害者と被害者をひっくり返してしまう鮮やかな手口、マスコミから弁護士といった人たちまですっかり騙されてしまう流れには戦慄を覚える。

■ 普通の生活をしていた普通の人が、ある日、突然ターゲットとなり悪人に仕立て上げられる
■ 加害者が被害者の仮面を被り、周囲の同情を引きつつターゲットを執拗に攻撃
■ 周囲が加害者の言い分を鵜呑みにして被害者が孤立

普通の生活をしていた、本当に何もしていない人たちが、ある日突然、人格障害者に狙われ、その被害が極端な形で大きくなっていく様がよくわかる。ワシも人格障害者に「伝聞によると借りたものを勝手に使ってトンズラ」と、ある日突然ターゲットにされ泥棒だと喧伝されたことがある。さらに別の人格障害者が「それが本当なら最悪ですね」と飛びつき、嘘がさも真実かのように拡散流布してしまう対応の必要に迫られた。人格障害者がタッグを組んで火の気のないところにガソリンぶちまけて着火したのである。この2冊の著書、いずれも最後は冤罪が晴れてハッピーエンドと言えるかもしれないが、それでも尚、人々の意識の中に残る最初の記憶、風評、そして失った時間は戻らない。ワシはよく人格障害者の被害を交通事故に例えるが、ケガから全快しても、治療費や入院していた時間というのは戻らないという事である。人格障害者に狙われたら逃れられないのはもちろん、仮に冤罪が晴れたとしても、結果的に大きなダメージを受けるというのがよくわかる。では次回以降、この2冊の著書の事例について書いていきたいと思う。

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