自己愛性人格障害(391) 国家の基本は圧倒的な暴力

漫画「激昂がんぼ」で官僚がヤクザに拉致されるシーンがある。官僚がヤクザの親分に言う。「私は国家の命を受けて任務を行なっている。その私に危害を加えるという事は国家に対するテロと認定される。国家はあなた方を本気で潰しますよ。国家の基本は暴力です。それもあなた方ヤクザを大きく凌駕するね」。ヤクザの親分は状況を察し官僚を解放する。

ワシは今までの人生で後悔しているとしたら、それは非常に体制的であったという点である。品行方正、成績優秀、学校の先生から見れば全く問題のないノーマークの生徒であった。もちろん体制から外れることが良いことだとは言わないが、そこまで厳密に守る必要もなかったし、一体何を恐れていたのだろうと今にして思う。子供の頃は重要だと思っていた事が、大人の視点からは些事に過ぎない事が多々ある。当時は高校受験は人生がかかった大事なものだと真剣になっていたが、今思えば、その後の人生に影響は軽微な通り道に過ぎなかったり。

戦後日教組教育では命の大切さを強調する余り歪んだ価値観の日本人が増えたが、乃木希典の殉死を始め、武士道に通じる死生観には、自分の命より大切な価値観というものがあった。例えばワシは嫁さんのためなら死ねる。子供のために死ねるという親は多いだろう。幸いにもワシは会社をクビになる心配はないので、正義のためなら前科がつこうが関係ねえと思っている。漫画家の小林よしのりが「逮捕されたところで逆に原稿依頼が増える」と書いていたように、「法の限界」という言葉を何度も聞かされたワシには、正義のためなら許される against the law な行為があるのではないかと思っている。クリスティの「オリエント急行殺人事件」で犯人に対しポアロが言う「この中に悪人はいません」。「そして誰もいなくなった」は、法で裁けない悪事を私的に裁くことが動機となっている。自分の良心に従って疚しい気持ちがないのであれば、適法かどうかは関係ないのではないだろうか。危険な思想だと思うかもしれないが、現実の裁判においても情状酌量の余地として考慮されている部分である。

今のワシにとって自分の命よりも大切なものは嫁さんであるが、だから、嫁さんに何か事あらばワシは懲役も辞さない。アメリカで娘をレイプされた父親が犯人を裁判所の前で射殺した事件があったが、ワシも同じことをするかもしれない。子供がイジメで自殺したニュースを読むと、被害者の両親はクソガキどもを同じ目に合わせればいいのにと思う。結局、人格障害者を止めるには最終的には正義の暴力が効果的ではないか。国家の基本は軍隊を背景とした圧倒的な暴力であり、これは人間の本質であろう。ストーカーによって不特定多数に住所を晒され、実際に近所をうろつかれ、今もその辺を歩いているかもしれない。嫁さんは外出はおろか、ゴミ出しすら注意を払わなくてはいけなくなった。ワシだけでなく家族にまで被害が及ぶとなると、例えそれが理由で逮捕されようとも、このような異常者を抑制する最終手段はそれしかないのではないか。しかし、だ。

社会人となり、自分で会社を興し、その過程で弁護士さんとも長い付き合いになる。今まで会社の事からプライベートな問題まで、何かとお世話になってきた。何かあってから相談するのではなく、予見される問題を回避するために相談させてもらっている。それまでワシも一般の日本人と同じく、和をもって尊しと思っていたが、法を利用すると言ったら語弊があるが、法によって守られるべき範囲の知識が素人なりに自然と身に着いた。ストーカー被害も泣き寝入りせず弁護士の先生に対応してもらったのは正解だったと思う。

前述のように、人格障害者キョショーはストーカーとなって、ワシの名前、住所、実家住所、顔写真を嫌がらせで晒し、さらに実際にワシの自宅近辺をうろうろしているので、危険を感じ引っ越しを余儀なくされた。だったら同じことをワシがしても、少なくとも本人から咎められる筋合いはない。「自分と同じ事を他の人がしたら怒る」という人格障害者特有の論理に正当な理由があるなら教えてもらいたい。しかし、だ。例え相手が人格障害者であれ、一時の感情の勢いに任せて犯罪者になるようなことはバカらしい。その前段階として、弁護士なり警察なり法なりと正攻法で対応するのは必要ではないかと思っている。何より人格障害者は権威に弱い。相手の異常行為に正当性がないのは明らかだから、こちらは何ら憶することはなく、正攻法で対応すればよい。人格障害者からは逃げるしかない、気付いたら離れる、それが被害を最小に抑える最善の方法であると常々ワシは主張しているが、相手が明らかな犯罪行為を行なっているのであれば話は別である。むしろそうなってくれたらシメタものである。大喜びで警察に行こう。

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One thought on “自己愛性人格障害(391) 国家の基本は圧倒的な暴力

  1. シャンシャン より:

    >「自分と同じ事を相手がしたら怒る」という人格障害者特有の論理に正当な理由があるなら教えてもらいたい。
     
    「人にやられてた嫌なことはしない」
    「人の振り見て、わが振りり直せ」
    これが常識ですが、自己愛は、自分が「やっていること」と人から「やられていること」って同じとは思わない、のでしょうか。
    それが「自分の傷みには敏感でも他人の痛みには鈍い」
    「他人の気持ちを推し量ることはせず、相手嫌がられていることなど夢にも思わない」それが高じて「自分を受け入れない相手を許せなくなる」のではないでしょうか。
    自己愛から身を守るには、自己愛の理不尽極まりない論法を己の理性で見極めて否定し、逃げるしかない。 
    逃げられない場合は、論破し戦うしかない。
    「攻撃は最大の防御」
    >ワシにとって自分の命よりも大切なものは嫁さんである
    「守る人」がいる人は、最強です。 
    自己愛の守るべきは「根拠のない自尊心」だけ。
    法治国家の下、法的に葬っちゃってください。

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