自己愛性人格障害(376) 思想信条の自由の悪用 6「嘘をつくはずがない」

人格障害の被害に遭っている人たち。多くを説明せずとも状況は理解できる。細かい差異はあろうが、おそらく以下の流れになっているに違いない。流れと書いたが、これらはほぼ同時多発的に起きているはずである。例に出した人格障害者キョショーはもちろん、人格障害者ウッキーもこのような手順を踏んでいる。人格障害者どもはまるで裏で相談しているかのように同じ手口を使うのは誠に不思議なことで、これらを踏まえて【PHASE 3】に進みたい。

【PHASE 1】
(1) こちらが何もしていないのに、向こうから突っ込んでくる
(2) 反論すると、攻撃された、自分は被害者だと騒ぎだす
(3) さらに反論すると嫌がらせに走る

【PHASE 2】
(1)人格障害者は周囲に嘘の悪口をいいふらす
(2)その嘘を信じた人たちを「みんなそう言ってる」と利用する
(3)自分の知らぬところで本来の自分と乖離した虚像が構築されている

さて【PHASE 1】と【PHASE 2】の段階まで事態が進んだところで、周囲の人に人格障害者の異常性を訴える必要に迫られる。人格障害者は反論されないように敢えて本人のいないところで嘘の悪口を言うので、本人が事態に気付いた時には既に嘘が拡散し取り返しのつかない状況になっている。普通の人に相談しても扉が開いてなければセカンドレイプに等しい反応が返ってくる。「考え過ぎ」「気のせい」「そんなことするはずない」と信じてもらえないどころか、「被害妄想」だと逆に責められる。人格障害者キョショーのように嫌がらせの痕跡があるのはレアなケースで、口で言っても性善説に基づいた常識人は誰も信じようとはしないだろう。人格障害者はターゲット以外に本性を中々見せないし、ターゲット以外は将来の味方にするため手なずけている節さえ感じられる。

さらに状況的に人々の心に受け入れやすいというか、わかりやすい構造的問題もある。「何もしていないのにブログで叩かれた」という説明は非常にわかりやすい。「~された」には、「何もしていないのにそんなことわざわざ言うはずがない」という先入観が働く。言われた側も「嘘をでっち上げ」しているとは思わない。普通の人は「嘘をでっち上げる」ことなどしないという常識が人格障害者の嘘を信じる下地になっている。それに対し被害者側が「あれは嘘です」と否定することは、相手が嘘をついていると主張していると捉えられる。普通の人は「嘘をつく」ことなどしないという常識が、被害者の真実の訴えを信じてもらえない下地になっている。

A) 人格障害者が嘘をついても周囲は「嘘をつくはずがない」と思う。
B) 被害者側があれは嘘だと否定しても周囲は「嘘をつくはずがない」と思う。

基本的に人は性善説に基づかないと人間関係を円滑に進める事が出来ない。このAとBの順番が逆なら異なるのかもしれないが、被害者側は常に受け身なので、AがなければBもない。常に順序はAを受けてのBでしかあり得ない。いずれも「嘘をつくはずがない」という常識が人格障害者の嘘がまかり通り、被害者の訴えが信じてもらえない構造的な問題となっている。そして「人格障害者が涙ながらに真顔で言ってるのだから嘘のはずがない。それを嘘だという被害者はひどい奴だ。」と全く逆の方向に周囲の意識が進んでしまう。人格障害者は「嘘つき呼ばわりされた!またまた僕は被害者!」と主張することだろう。被害者はますます孤立してしまう。

【PHASE 3】
(1)周囲に被害を訴えても信じてもらえない
(2)むしろ被害者のほうこそ嘘をついていると思われる
(3)人格障害者はここぞとばかりに更に被害者を装う

人格障害者の被害は密室で訴えても無駄だ。ワシがこうしてブログで書いているように、広く公にしないと嘘がまかり通ってしまう。人格障害者は事を公になる事を嫌う。それは本人が嘘をついている自覚があるからに他ならない。人格障害者キョショーはワシに書かれた事は、表向きは事実ではないと周囲に言いつつ、裏では個別に「本当の事をバラしたのおまえだろ」とワシの友人たちに次々とメッセージを送りつけている。これは次の【PHASE 4】で書くが、ワシがこうしてブログで書かないと、人格障害者キョショーは本人が主張するようにストーカーなどやっていない事になり、何もしていないのに叩かれた被害者として周囲の人の意識の中で定着してしまっていただろう。これぞ人格障害者の手口である。人格障害者の被害の流れ【PHASE 4】を次に書く。

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One thought on “自己愛性人格障害(376) 思想信条の自由の悪用 6「嘘をつくはずがない」

  1. 逃亡成功者 より:

    いつもながら鋭い切り口で、胸がすく思いです^^
    >(1) こちらが何もしていないのに、向こうから突っ込んでくる
    これ、本当になんなんでしょうか。私がかつて出会った自己愛者もまさに全員コレでした。しかもフルパワー全開で突っ込んできます。「ほかにやることはないのか?」と呆れます。
    私が感じたのには、彼ら・彼女らは”妙に他人との精神的距離が近いこと”です。他人事なら放っておけばいいものを、我が事のように捉え、関わってきます。
    そして私のことを「他人に興味のない冷淡な人」というふうに見ていました。
    私は他人に興味がないのではなく、「人は人、自分は自分」という考えが強いため、自己愛者からはそう見えるらしいです。
    煽られても相手しないようにしていると、ものすごく腹を立ててさらに煽ってきます。
    あまりにうっとおしかったので一度反論したことがありますが、
    「あなたは以前とは変わった、もう友人とは認めない」
    と陰口を周囲に触れ回り、私を孤立させようと躍起になってました。めんどくさいです。
    そもそも、タゲられ嫌がらせを受けた時点で友達ではありませんし、嫌いならさっさと縁切りしてくれ、と思います。
    なのに関わってきます。「無視された、腹黒い嘘つき人間だ」と遠くから10年以上ブツブツ言います。粘着質です。
    これがせんちさんの仰る、
    >(3)人格障害者はここぞとばかりに更に被害者を装う
    じゃないかと思います。
    私からは本当に働きかけていません。一歩も動いていない、なのになぜか私の人物像は最悪なものになっています。
    もはやコミカルです(笑)どういう理論なのか・・・?自己愛者の頭の中を覗いてみたいですねw

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