自己愛性人格障害(369) カッパえびせん その2

ストーカーをするような奴は精神が病んでおり、自分がストーカーをしているという自覚もなく、警察から警告を受けようと逮捕されようと執行猶予中であろうと、同じことを繰り返してしまう。ここまでくると病気であるだけでなく狂気である。菊池桃子のストーカーは「もうしません」と言ったその足で菊池桃子の自宅に向かっている。スマイリーキクチ中傷犯は、ネット上で中傷の書き込みを行ない警察から注意を受け「もうしません」と謝り、警察が帰った数十分後に、再び中傷を書き込んでいる。

10年、20年の単位で人格障害者は執着する例も多い。警察はもちろん周囲から注意を受けようと、人格障害者は嫌がらせを始め執着は止められない。そして自分こそ被害者であると思い込み、相手の悪口を吹聴してまわる。それを延々繰り返す。そして「何もしていない」と平然と言い切る。

岩田華怜 official blog
聞いてほしいこと、言わなくちゃいけないこと
『実はAKB時代から、ある人からの誹謗中傷、営業妨害に悩まされていました。母親へ殺害予告されたこともありました。[1] その人のことについては書きたくもないのであまり詳しくは書きません。今までは、私が反応したり、相手にしたりすると逆効果になることが多かったので、[2] 沈黙を守ってきました。しかし最近、また事態が悪化して来ました。私が何よりも嫌なのは、[3] 私の周りの人を巻き込むことです。私の周りの人を傷つけることです。ここまで何ヶ月も稽古して、みんなで創ってきた作品をこのような形で邪魔されるのは本当に侵害です。そしてこれは[4] 今回が初めてではありません。私が望むことは、もう私に関わらないでほしい、ただそれだけです。いくら私が心の叫びを文字にしたところで、「私が書いているんじゃない」「マネージャーや警察の捏造だ」などと言い訳を見つけては[5] 一向に現実を見ようとしません。』

[1] その人のことについては書きたくもない
ワシは「(368) 扉の先にある景色」において「もはや考えるのも嫌悪を感じる人格障害者っぷりなので、ずっと書こう書こうと思っていたが、そのままになっている」と書いている。なので岩田華怜さんの書いている内容、その気持ちが非常によく理解出来る。ウッキーやキョショウのようにネタに出来る程度であれば良いのだが、もはやその人格障害について考えたり書いたりすることすら抵抗を感じると本物であろう。

[2] 沈黙を守ってきました。しかし最近、また事態が悪化して来ました。
非常に教訓的である。本人にしかわからない嫌がらせ、周囲に理解を求めても信じてくれない。結果、自分が我慢すれば嵐は過ぎるだろうとつい放置してしまう。しかしこの事実は放置が必ずしも得策ではないということを示している。こちらが反応しないと、人格障害者は相手に振り向いてもらいたいとエスカレートさせていくのがわかる。

[3] 私の周りの人を巻き込むこと
これはワシも非常に心を痛めている部分である。人格障害者キョショウはワシの友人たち、それも10年以上会っていない古い友人にまで次々にメッセージを送りつけ、ワシの嫁さんに至ってはゴミ出しにまで気を使わねばならない状況に陥っている。ワシが狙われたせいで、ワシの周囲の人たちにまで迷惑をかけることになったのが非常に心を痛めている。

[5] 一向に現実を見ようとしません
ストーカーはもとより、人格障害者の最も腹の立つところは自覚がないという点である。平然と「何もしていないのに」「何で叩かれるかわからない」「自分こそ被害者」と嘘をつく、いや本人は嘘だと思っていないのかもしれないが、自分の都合良く解釈したり、記憶が改竄されたりしてしまう。「お父さんは覚えがないと言っています」である。

岩田華怜さんのストーカーのニュースを読むと、こういう奴とは話にならないというのがよくわかる。相手にしてもダメだし、相手にしなければ更にエスカレート。もう、どうしていいかわからない。本当にわからない。やっぱり人格障害者からは「離れるしかない」という結論しかない。そして離れられればいいが、向こうが離れてくれないとどうしようもない。人格障害者に狙われてしまった運命を呪うしかない。しかし前回「(364) カッパえびせん」の最後に書いたように、ワシは一筋の光明を見出した。それが [4] 今回が初めてではありません である。

[4] 今回が初めてではありません
起こってしまったことは仕方がない。ワシは人格障害者どもは不幸になれと思っている、他人の不幸を願うクズだが、こちらが何をしなくてもそうなると信じている。それが一筋の光明であると思っている。

昨今のストーカー事件の例を挙げるまでもなく、人格障害者は必ず繰り返す。ストーカーであれ、嫌がらせであれ、逮捕されても尚、自覚なく同じことを繰り返す連中である。人格障害っぷりを発揮しながら一生を終える。そのターゲットはワシ、あなただけではなく、他の人との間にも絶対に同じような事をしている、あるいはこれからもするはずである。正体が露わになるのは、ワシやあなたの前だけではない。時間の経過と共に周囲に必ず知れ渡るはずである。被害者が増えるのは歓迎すべき事ではないが、人格障害者は必ず周囲との軋轢を生じさせ、その正体は絶対に隠し切れない。

やめられない、止まらない、カッパえびせんと人格障害。大丈夫、人格障害は他でも同じことを繰り返し、人格障害だというのは、絶対にバレるから。その時、初めて、ワシやあなたの言ってたことが本当だったと理解してもらえる。そんな気がする。

審判の日を待とう。

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