自己愛性人格障害(050) 責任逃れが出来ない状況だったら

自己愛性人格障害は、責任感が決定的に欠ける、ウソをついてでも責任逃れをするというのは、今までも幾多の実例を挙げて書いてきた。しかし、中にはどうしても責任から逃れらない場合もある。ウソやごまかしが効かないくらい、もう、この人格障害者以外にないといったくらい明白な責任がある場合である。

ワシの会社では訪問介護を行なっていたのだが、この人格障害者ウッキーの奴、利用者の家族とトラブルを犯した。ワシも後から聞いたので詳細はわからないが、ただ、利用者本人ではなく、利用者の家族とトラブルになった、ということだから事態は深刻だ。もちろん、客商売をしている以上、 客とのトラブルは不可避である。そんな時は、客が悪くても謝るしかない。中には社長を呼べ!と言われて謝りに行ったこともある。そして、さすがに普段表に出ない社長が行って謝れば、どんな怒っている人も、たいていは拳を下ろしてくれる。これは人格障害者のような自慢ではなく、会社として最終責任者が出て行くことは大切なことだと言いたいのである。

人格障害者ウッキーは他の人がトラブルを起こした時は、「わたしだったら大丈夫なのにね~」と嬉々として報告してくる。他人の失敗は相対的な自分の評価に繋げるよう仕向ける。他人のミスを喜ぶのは人格障害の特徴のひとつでもある。ところが、この時は、人格障害者ウッキーに対し、利用者の家族が激怒している。何があったか詳細はわからないが、誰の責任でもなく、人格障害者ウッキーの責任であることは明白だった。

何か、人格障害者ウッキーが怒らせることをしたのだろう。さらに、恐らく責任逃れの説明をしたのだろう。じゃなかったら半端ない怒り方をするわけがない。そういう時は、とにかく謝らねばならない。こちらに否がある時はもちろん、先方の否でも、こちらが悪い、こういう姿勢で望まねばならない。

ところが、人格障害者ウッキーの奴、この大きなミスを会社に報告しなかった。しかも、自分だけで処理しようにも、原因となった自分が出て行って話を聞いてもらえるわけがない。同僚の稲増に依頼して、こっそり後処理に行かせたらしい。会社にナイショで、部下に尻拭いをさせる。結局、人格障害者ウッキーは上に立つ器でないのだ。

人格障害者ウッキーの代わりに謝りに行った稲増は、家族にさんざん怒られた挙句、結局、事態は収拾できず、その利用者は離れてしまった。その際、その利用者家族に怒鳴られたそうである。「なんで、あんな障害者を管理者にしておくんだ!!!」。前述のとおり、この人格障害者は、人格だけでなく足にも身体障害があり、クネクネ足を引き摺って歩く奇形である。普通、良識あれば、このような身体的な障害を突いて批判することなどしないが、それくらい、その利用者家族の怒りが大きかったということだろう。

それにしても、なぜ、会社に報告しない? 自分のミスはウソをついてでも責任逃れして、他人に転嫁するくせに、言い逃れ出来ないミスは、隠すのである。これが、普段「わたし、責任あるから~」とアピールしている、人格障害者ウッキーの正体である。

激怒した利用者家族も、何も人格障害者ウッキーが身体障害者だから怒ったのではあるまい。明らかに誠意の欠ける対応をしたことが原因である。おそらく人格障害者っぷりを発揮した言い訳をしたのだろう。ある意味、利用者家族の言ってることは正しい。実際に、人格に障害があることは明白なのだから。「なんで、あんな(人格)障害者を管理者にしておくんだ!!」。本人は無意識だろうが、つまり、こういうことであろう。

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