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自己愛性人格障害(360) 嘘の自覚があるのかないのか 1

『人格障害者どもが、しつこい嫌がらせをして、それを指摘されても「何もしていない」と言う。嘘をついている自覚があるのか、それともマジで言ってるのか、これが本当に知りたい。』

前回の末尾にワシはこのように書いた。改めて、これはワシが最も今、知りたい点である。人格障害者どもと話すと「言った言わない」の話になることが多い。Aだと言うのでそれを前提で話しているのに、都合が悪くなるとAなんて言ってないと嘘をつく。人格障害者ウッキーの場合は、加えて「Aと言ったのはそっちの方」と、自分の言ったことを相手になすりつけてしまう。「言ったことも言ってない、やったこともやってないと嘘をつく。自分のしたことを相手になすりつける」これはリアルサイコよっしーの項でも詳述した人格障害者の典型的な手口である。ワシが知りたいのは、これが責任逃れと保身で嘘をついているのか、それとも人格障害者どもの脳内では真実に変換されているのかという点である。ここでひとつ、興味深いツイートを紹介しよう。

これは毒親に幼少時に虐待を受けていた人だと思しき人の書いたツイートである。第三者が止めに入るほど子供を叩いておきながら、後になって「そんなことしていない」と言われて驚いている。さらにこのツイートの返信も読んで欲しい。文字が細かいが、画像をクリックすると大きくなる。後から都合が悪くなると「忘れた」「そんなこと言ってない」と言う。こちら側としてはまさに「忘れるか普通?」という感覚になるのはよくわかるし、ワシも数多く同様の経験をしている。例えば、あれだけ詳細に書いたストーカー被害を、リアルサイコよっしーはワシの妄想だと周囲に言っている。あれだけ多くの目撃者がおり、証拠も残っており、何より自分自身であれだけ派手にやっていた嫌がらせを忘れるか普通?

この件に関しては、人格障害者被害に遭った人によって見解が異なり、人格障害者どもに嘘の自覚あるのか、それともマジなのか、依然ワシもどちらかわからない。それくらい、人格障害者どもは真顔で、時には怒りながら、時には涙ながらに、そんなことはしてない、言ってないと主張する。果たして人は演技でここまで真剣に嘘がつけるものだろうか。

次に別のツイートを紹介しよう。ワシがツイッターで、人格障害者どもは嘘の自覚があるのかないのかと疑問を呈したところ、フォロワーさんが自身の経験を踏まえこのように返信をくれた。「録音があるというと黙るから覚えていると思う」。人格障害者は、自分に都合の悪い事を「言ってない」「やってない」と嘘をつく。そして証拠を出されると「言ったけどそういう意味じゃない」と言い換える。それでも逃げきれないとなると黙り込む。逃げきれない状況になった時でも自分の非を認める事が出来ず黙り込む。リアルサイコよっしーがまさに現在その状態にあるのは読者の方々もご存知の通り。嫌がらせやストーカーをし、ワシのいないところで「あれは妄想です」と周囲に嘘をつき、それがワシの知るところとなり「じゃあ、ブログで公開して皆に判断を仰ぐから正当性を主張してみろ」とメッセージを送ったら黙り込んでトンズラ。普通は自分の非が露呈したらゴメンナサイだろう。謝ることは何も恥ずかしいことではない。むしろ非が明らかなのに、あれやこれや嘘言い訳をし、それでも逃げきれないと黙り込む、そっちの方が余程恥ずかしいし、人間として間違っている。このケースは、嘘をついているという自覚がある、という認識を補強するものである。

もうひとつ例を挙げよう。前回、娘さんが学校の部活で先生からセクハラを受けて裁判になっているという話を書いた【自己愛性人格障害(359)】。セクハラ先生は裁判の場で自分の行為を否定するのみならず、相手から迫ってきたという真逆の嘘を述べたそうである。「言ったことも言ってない、やったこともやってないと嘘をつく。自分のしたことを相手になすりつける」ホラ出ましたよ(笑)。人格障害者ウッキー、リアルサイコよっしー、そしてこのセクハラ先生と、人格障害者のお馴染みの手口である。このような裁判の場で偽証罪が適用されるのかどうか知らないが、いずれにしても公の場で嘘を平然とつけるというのに驚く。普通では考えられないことなので、もしかしてセクハラ先生は嘘をついている自覚がなく、本気でそう思っているのではないだろうか。これに対し、被害者の母親は「全て(嘘だと)自覚している」と思っているという。何故なら閉廷後に手が震え高揚し落ち着かない様子なのを目撃したから、というのがその理由である。このケースにおいても、嘘をついている自覚がある、ということになる。

Posted on 2018-06-11 | Category : ブログ | | 2 Comments »
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コメント2件

 でらせるな | 2018.06.12 7:14

おはようございます

徒然草の第85段は興味深い内容です

吉田兼好の生きた時代に
自己愛がいたかどうか不明ですけど

 でらせるな | 2018.06.12 7:37

徒然草 以下の通り

第85段:人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづから、正直の人、などかなからん。己れすなほならねど、人の賢を見て羨むは、尋常なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。『大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽り飾りて名を立てんとす』と謗る。己れが心に違へるによりてこの嘲りをなすにて知りぬ、この人は、下愚の性移るべからず、偽りて小利をも辞すべからず、仮りにも賢を学ぶべからず。

狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥(き)を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒(ともがら)なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。
[現代語訳]

人の心は素直ではないから、自分を偽るということが無いわけではない。しかし、初めから正直な人なんてどこにいるだろうか(いや、どこにもいない)。自分は素直ではないから、他人の賢さを見て羨ましがるのは普通である。相当に愚かな人物は、賢い人物を見て、その賢さを逆恨みしてしまう。

『大きな利益を得ようとして、小さな利益を得ようとしない。嘘で自分を巧みに飾って名誉を得ようとする』と賢い人をけなしてしまう。自分の心と賢い人の心が違うので、こういった嘲りを言ってしまうのである。この人は、愚鈍な本性から離れることができない。相手を偽って、小さな利益を手に入れようとし、仮にも賢い人から学ぼうとはしない。

狂人の真似をして大通りを走れば、それは狂人そのものだ。悪人の真似と言って人を殺せば、悪人になる。一日に千里走る名馬に学べば、その馬は同じように一日千里を走る。聖王の舜を真似したら舜と同様の名君になるだろう。偽りでも賢さを真似したら、その人を賢と言うべきだろう。

つまり、「あの人は本当はいい人」かもしれないが
狂人の振る舞いをすれば、これ即ち狂人でしょう

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