自己愛性人格障害(357) 人格障害者による嫌がらせ その1

前置きなしで単刀直入に書くが、人格障害者どもは嫌がらせが大好きである。何を目的として嫌がらせをするのか不明だが、細かい嫌がらせをこれでもかと次々に繰り出してくる。それは相手に対し「あなたのことが嫌いです」アピールを含んでいる。わざわざそんなことアピールしなくてもいいのだが、人格障害者どもはそれを止められない。そして実際に被害に遭った側も、人格障害者どもの嫌がらせを止められない。人格障害者だと気付いたら離れるしかない、というのはそういう理由もある。

【1】本人にしかわからない嫌がらせ
人格障害者は本人にしかわからないような嫌がらせをする。周囲の他の人たちには至って普通の顔しか見せない。その為、周囲の人たちは人格障害者の嫌がらせに気付くこともなければ、相談した相手すら「あの人は本当は良い人なのよ」「そんなことするはずがない」という的外れな反応が返ってくる。毒親に虐待を受けていたという事を、同じ屋根の下に住んでいながら他の兄弟姉妹は全く気付いていなかったという話もあり、特に精神的な嫌がらせは他の人に見えづらい。人格障害者の顔をターゲットにしか見せず、他の人には見せないのである。

ワシが小さい頃、親戚の家に遊びに行った時のこと。さらに遠戚に当たる人を指して叔母さんがワシに言う。「あの人、玉を転がすようなキレイな声で、あっら~とか優しいことを言ってるけど、性根が悪いから気をつけられ。あの人、私にしかわからない嫌がらせをするの。他の人にはわからないけど、私にはわかるの」と、まだ年端のいかないワシに言うのである。今はその意味が非常によくわかる。まるで「あこがれ」みたいな話が実際にあったのだろう。

【2】周囲の無理解
人格障害者の嫌がらせを周囲に訴えた時に必ず言われる言葉。「そんなことするはずない」「被害妄想」「考え過ぎ」「気のせい」「気にしなきゃいいじゃん」。【1】で書いたように本人にしかわからない嫌がらせだという点も原因であるし、面倒な事に突っ込みたくないという意識もある。結果的に「自分には被害はないのだから、仮に本当でもオマエが我慢すればいい」と言われてしまう。しかし「まさか、そんなことするはずがない」「まさか、そこまでしないだろう」という事をするのが人格障害者である。普通の人ならそのように考える事も無理ないというのはわかる。ワシも実際に被害に遭わなかったらそう思ったに違いないし、嫌がらせを受ける当初も、まさかそんなことないだろうと思っていたが、繰り返されることにより、それが意図的なものであると気付かされる。

映画「エスター」では、エスターの異常行為に精神的に参ってしまった妻を、夫がカウンセリングに連れていくシーンがある。カウンセラーもピンキリで、映画ではカウンセラーが全くエスターの正体に気付かず、結果的にカウンセラーと夫が二人で妻を責めるという最悪の状況になっている。カウンセラーはプロであるが、扉が開いたか開いていないかで、プロであっても人格障害を見破るのが困難だということだ。これは映画の中の話だけではない。実際にあった話として、以下はワシのツイッターのフォロワーさんからの引用である。

人格障害の夫と離婚したが、息子さんが人格障害者夫の悪影響を引きずっているためカウンセリングに連れて行ったという状況のようだ。そのカウンセラーが言う「両親が変わって以前のように仲良くなりましょう」。まるで毒親に苦しんでいる人に「たったひとりの親なんだぞ」「子供がかわいくない親なんていないのよ」といった一般論で更に傷つけるかのような信じられない発言である。なぜそういう結論(離婚)に至ったかという理由を無視して、単に一般論を述べているに過ぎない。そしてその一般論は普通の夫婦、普通の家庭になら当てはまるかもしれないが、異常な人格障害者には当てはまらないからこそ困っているのである。

さらに息子さんは父親の横暴をカウンセラーに訴えているが、その内容について「お父さんは覚えがないと言っています」とカウンセラーに答えたようだ。言ったことも言ってない、やったこともやってない、こんなことは扉が開いた人たちには人格障害者の基本であるはずだが、それを真に受けて「お父さんはやってないと言っている」と被害者に告げるという無能さ。いや、扉が開いていなければこんなものだろう。

「カウンセラー、大丈夫か」

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2 thoughts on “自己愛性人格障害(357) 人格障害者による嫌がらせ その1

  1. 手遅れ より:

    自己愛性人格障害の原因は、幼少期の環境です。
    境界例の親は子供に愛情を注ぐのが苦手で、
    子どもを境界例に育ててしまいます。
    その他に認可保育所、乳児院に入れると
    境界例になります。
    国は待機児童問題と称し、自己愛性人格障害、
    境界性人格障害を大量発生させる政策を行ってきました。
    そして、精神科医を買収し、境界例がしたことを
    自閉症スペクトラムになすりつける内容の本を大量出版してます。NHKも自己愛がやったことをなすりつける番組を流している。確信犯なのです。
    国民が知識が無いことをいいことに、騙すつもりなのです。
    このままでいくと、国民の大半が境界例になります。

  2. 手遅れ より:

    発達精神医学から見た心の成長過程
     Ver 1.0 1999/06/05
    「人は皆、泣きながらこの世に生まれて来る。だが、この世を去るときは人それぞれだ」  ―― シェークスピア 「リア王」より
    0ヵ月 出産
     生物学的な誕生です。居心地のよかった子宮と別れて、これから、死ぬまでの間、この世で生活することになります。どんな人生を送ることになるのでしょうか。
    0~2ヶ月 正常自閉期
     本能的にオッパイを吸います。知覚がまだ充分発達していないため、外部のことには鈍感です。
     この時期にひどいトラブルがあったりすると、それが分裂病の中核を形成するのではないかと考えられています。
    2~6ヶ月 共生期
     外界を知覚するようになります。しかし、まだ自分と他人の区別がつきません。ですから実際には母親からオッパイを飲ませてもらっているのに、赤ん坊の心の中では自分で自分のオッパイを飲んでいると理解されています。これが万能感や誇大感の基礎となります。
     オッパイが自分にとって「良い」存在であるとか、「悪い」存在であるとかいった事を認識するようになります。「良い」オッパイは欲望を満たしてくれるので生きる歓びに繋がりますが、「悪い」オッパイは飲みたいのに飲ませてくれないケチで意地悪な存在であると認識され、敵意や攻撃性が向けられたりします。元は同じオッパイなのに、赤ん坊の心の中では別々の分裂したものとなっています。オッパイと自分の区別がつきませんので、自分自身が分裂していることになります。これと同じように、外界の世界の認識も、断片に分裂していて、相互のつながりがありません。
     自他の区別がつかないため、母親の不在を、自分自身が消滅してしまうような恐怖として感じたりもします。
     この時期にひどい問題があると、やはり分裂病の元になるのではないかと思われます。
    分離・個体化期
     自分と他人の区別のつかない共生期を終えて、自他の区別が出来るようになると、やがて赤ん坊は母親と精神的に分離する段階に入ります。この段階はさらにいくつかの段階に別れていて、分化期、練習期、再接近期などとよばれています。境界例はこれらの段階が充分にクリアされていないことが原因であると考えられています。早期の段階のトラブルほど精神病的な様相を帯び、個体化期などの後期になるほど症状は軽くなり、神経症的なものに近くなると思われます。
    6~9ヶ月 分化期
     抱っこされているときに母親の髪を引っ張ってみたり、母親をじっと見つめたり、身体を反らして離れてみようとします。イナイ、イナイ、バーをされると、喜びます。
     少しずつ自分と母親の区別がつくようになり、母親を他人として識別できるようになります。母親と母親以外の人の区別もつくようにもなり、八ヶ月不安とか人見知り不安とか言われているものが出現します。母親以外の人の存在を発見したことにより、不安と同時に関心を持つようになります。
     前の共生段階での問題を引きずっているような場合、たとえば、母親がただ機械的に赤ん坊を抱いていただけで、赤ん坊の欲求に充分応えていなかったような場合は、分化の達成が遅れたりします。
     母親が育児でイライラして感情的になって癇癪を起こしたりしていると、逆に分化が早まったりします。
    9~15ヵ月 練習期
     ハイハイが出来るようになり、やがて自立歩行も出来るようになります。歩けるようになると赤ん坊の世界は格段に拡がります。この世という所はどんな所だろうかと探検に出かけ、遠くから母親を見て喜んだりします。自分の方から、イナイ、イナイ、バーをしたりします。
     母親にとって、子供が自分から離れて行くことは、子離れの第一歩になります。子供の成長を一緒になって喜び、分離の練習を励ましてやると、子供はさらなる成長に向かって進んでゆきます。
     しかし、子離れの出来ない母親は、自分の寂しさから、離れて行こうとする子供を不安にさせるような態度を取ったりして、子供の成長を妨害したりすることがあります。
    15~24ヵ月 再接近期
     母親と自分は別の人間なんだという認識がさらに発達します。そして、母親の不在をはっきりと認識できるようになり、分離不安が出現します。それと同時に母親の不在に敏感となり、見捨てられ不安を抱くようになって、母親の後を追いかけたり、まとわりついたりします。
     あるいは再び抱っこしてもらうことを期待しながら、母親の腕から飛び出したりします。母親が自分を見捨てていないことを確認して喜んでいるかのようです。母親が子供の不安に応えて、しっかり抱き締め、見捨てられていないんだということを保証してやることによって、見捨てられ不安が和らぎ、次の個体化期へと続く母子の信頼関係が作られてゆきます。
     分離の不安が強くなると、分離を否定してそれ以前の段階に戻ろうとし、母親を自己の延長のように扱ったりします。たとえば、母親の手をクレーンに見立て、母親の手を使って物を取ったりします。あるいは、母親が不在の時、母親の座っていた椅子に座ることで母親を独占したような気持ちになったりします。
     母親の不在が長かったりすると、母親が戻ってきても母親を無視したりします。見捨てられる不安を避けるため、自分の方から母親を見捨てているものと思われます。
     子離れの出来ない母親は、現れてきた子供の見捨てられ不安を利用して、自分にしがみつくように誘導したりします。このような母親の態度によって、この段階が強い不安や恐怖感によって妨げられ、「自分は見捨てられていないんだ」という保証がまったく得られなかったりすると、次に続く個体化期にも様々な影響を及ぼすこととなります。そして、次の段階で成し遂げなければならない自我同一性などの課題の達成が困難となります。これが境界例の症状の中核を成すようになります。
    25~36ヵ月 個体化期
     母親とは「別個の存在」としての「独自の」自我機能が確立して行きます。これによって、自分は自分なんだという自我同一性が出来上がります。これが達成されないと、自分がいったい何者のなのか分からないような、不確実な自己とともに、不確実な現実をさまようことになります。
     いままで「良い」と「悪い」に分裂したままで、断片化していたものが、このころになると次第に統合されてゆきます。これによって、一人の人を、「良い」面も「悪い」面も併せ持った人として理解できるようになり、その人の悪い面も含めて、その人の全体的な人格との関係を築くことが出来るようになります。もし、この統合が不十分で分裂したままですと、その人が「良い」状態の時は「良い」関係が持てるのに、少しでもその人の「悪い」面を見つけたりすると、まるで別人になったかのような激しい憎しみを向けたりします。「良い」と「悪い」の中間が無いので、感情や価値観が極端から極端へと激しく揺れ動いたりします。
     この時期には同時に対象恒常性が確立します。対象恒常性とは、「良い」母親のイメージが心の中に常に存在しているということです。母親がいなくても、心の中に定着した良い母親が代わりをしてくれるので、困難な問題に直面しても一人で対処できるようになります。「良い」対象と関係を持つようになり、これがさらに自己の成長を助けます。自分で自分を助けたり育てたりする能力が出来たと言えるでしょう。この対象恒常性の確立が不充分な場合、自分で自分を「良い」方向に導くことが出来ません。自分で自分を見捨てたり、破滅願望を抱いたりして、自分にとって「悪い」方向に進んだりします。
     この個体化期を通して、人生の様々な問題を乗り越えなければならないときに必要となる、心の基礎が出来上がります。しかし、境界例の人は強い見捨てられ不安によって、この段階でも様々な問題を抱えることとなり、心の基礎が未完成のまま、人生の航海へと旅立って行くことになります。そして、思春期になって精神的な自立が求められるころになると、境界例の症状となって表面化します。
     これらの自我同一性や対象恒常性の確立の失敗の背後には、強い見捨てられ不安が潜んでいます。ですから、回復のためには見捨てられ不安を徹底的に洗い出して直面化し、見捨てられ不安を解消する必要があります。そして、もう一度この「個体化期」をやり直さなければなりません。
    【参考文献】
    「境界例とその周辺」悳智彦  「青年期境界例の治療」マスターソン  その他
    【関連ページ】
    歪んだ育児行動の治療  [精神医学トピックス]
    精神的な誕生について  [思考と行動の問題点]

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