自己愛性人格障害(041) 人格に「も」障害が

佐野眞一や大下英治などノンフィクション作家が対象に迫る時、まずその生い立ちなり背景から掘り起こす。では人格障害者ウッキーはどのような人物なのか? さて、今回は、差別的なことを書くので、今まで共感してくれてた人も嫌悪を感じるかもしれない。まあ読んで欲しい。

人格障害者ウッキーは、人格のみならず、実は、実際に身体障害者でもある。足に障害があり、クネクネ足を引き摺って歩く奇形である。その障害のためか、小さい頃からイジメられたと言う。そして、およそイジメというのは中高くらいまでで、大学生になるとイジメはほとんどなくなるというが、この人格障害者は社会人になってもイジメられたという。

ワシが思うに、イジメられたというのは本人の弁であって、実際はバカにされていたというのが本当のところだろう。人格障害者は、身体のそれと異なり、見た目は普通の人と同じだし、本人にも自覚がない。イジメを肯定する気はないが、大人になってのイジメというかバカにされるのは、身体障害ではなく、人格障害に起因するものだと思われる。しかし人格障害者ウッキー自身は、イジメられる/バカにされるのは、本人は生まれついた身体障害のせいだと思っている。

責任転嫁、理由転嫁は人格障害者の本能みたいなもので、たまたま身体障害者だったので、自分がバカにされるのはそうだからだ、と思い込みたいのだろう。人格にこそ障害があるとは認められないのだろう。しかし、そこは大人の世界である。自分だったらと考えて見て欲しい。果たして社会に出てまで身体障害者に差別的な意識を持つだろうか?少なくともワシはない。実際にボクはその身体障害者を雇用し、かつ責任ある立場につけていたのだし、差別意識など普通の人はないだろう。

これは本物の(笑)看護師の方がおっしゃっていたのだが、思い病気を患っている患者は、心も病んでいる事が多いとのこと。ワシの不幸は、その身体障害者が人格にも障害があった点である。そいつがイジメられていた、まわりからバカにされていたのは、明らかに人格障害に起因するものである。そして、それらを身体障害のせいにして、自分自身の資質に問題があることから目を背けているのである。いわば、究極の言い訳を生まれながらに備えている最強の人格障害者なのである。

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身障者の父親の世話をしている女の子がいた。詳細は省くが、まだ20代なのに父親の世話に人生の全てを捧げていた。父親の世話のため働きに出れず生活保護を受けていた。上から目線で申し訳ないが、同年代の他の女の子が普通に享受している楽しみを彼女は知らずにいた。そこで、お父さんにヘルパーが入っている間だけという約束で、
ワシはデートに誘い、食事をご馳走し、帰りはタクシー代を渡して帰宅させた。お嬢様を連れ出すわけだから、もちろん父親の許可を得ている。

ところが後日、お父さんが車椅子で会社に怒鳴り込んできた。そのオヤジ、娘を洗脳して外部との接触を絶たせていた。娘は自分の世話をするものだと、娘はそれを当たり前だと思っていた。オヤジは、娘に外の世界を知られると困るのである。娘が自分の元を離れてしまうのではないかと懸念したのである。

「いくらオヤジでも娘の人生があろうが!」とワシは逆に怒鳴った。すると、そのオヤジ、伝家の宝刀を抜いた。「身障者に向かって、そんなことを言うのか!」。ワシが嫌いな身体障害者は、こういう奴だ。これを言うと、今まではまわりの人間も黙ってたのだろう。同情して主張を引っ込めて、オヤジに謝ったのかもしれん。

「身障者だろうが健常者だろうが間違ってる事は間違ってるやろ!!!」こうワシが言うと、捨て台詞を言って帰っていった。身障者が皆そうだとはもちろん言わないが、ワシの出会った身障者は全員例外なくそれを武器に使う嫌な連中だった。人格障害者ウッキーも、自分の足の障害をあらゆる言い訳に使っており、自分自身の否ですら、身体障害のせいにしているのである。

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10 thoughts on “自己愛性人格障害(041) 人格に「も」障害が

  1. ヒロコア より:

    やっぱZ武って特殊なんだなって思ってしまった。笑

  2. せんち より:

    彼は思想の部分では合わない部分があるが、
    身障者にありがちな後ろ向きな姿勢、
    それを武器として使うあさましさが無いので非常に好感が持てる。

  3. 匿名 より:

    身体障害者の介助の仕事をしています。
    その人は、自己愛性人格障害かサイコパスのような人です。

  4. せんち より:

    *** 匿名さん
    人格障害が先か、身体障害が先か。
    ボクの接した人たちは、いずれにせよセットでした。

  5. ウボァ より:

    障がい者に人格障害が多いのは事実ですね。
    原因としては障がい者差別が激しかった時代から一転して唐突に障がい者を保護しようという時代に突入してしまい、それで実際になんでもかんでも「障がい者だから」で許されてしまったからです、そして周りがそれを許してしまったからです。
    要するにワガママな子供を叱ること無く子供のワガママに合わせていたら大人になってもずっとワガママのままです。
    なので物事の順番としては障がいがあるから周囲の人間が何でも障がい者のワガママを聞いてしまうので障がい者が障がい者だからという理由で何でも許されてしまう事に慣れきっている、ということで育ちの問題です。
    障がいを持っていていても周りがそうして甘やかししなければそうはなりません。

  6. ウボァ より:

    このブログで人権派の問題について取り上げられていますがこうした障がい者が障害を持っていることを盾にしてやりたい放題するのも元を正すとその手の人権派が巻いた種です。

  7. しゃけ より:

    私も2度ほどそれぞれ別の自己愛に大事な人とのつながりをぶち壊されて「殺してやろうか」と思ったこともあります。
    こちらのブログで自己愛の被害者が世の中にこれほど多いのかと驚いております。
    が、時々違和感を感じてしまいます。
    自己愛を作り出したのは、「誰か」と断言される方がいる点です。
    仮に人権派が作り出したなら、人権派がいなかった時代に自己愛がいなかった事になります。
    でも、そういうことはないと思います。
    我々が自己愛の被害をこうして共感できるのは、ネットでつながることができたからです。
    だから、自己愛の存在の多さがわかってきたのではないでしょうか。
    自己愛は昔から普通に存在していたけれど、
    情報が共有できなかったから
    あんまりいないと思われていたのではないでしょうか。
    ちょっと矛盾したことを言うかもしれませんが
    ご容赦ください。
    確かに横柄でムカつく障害者も多いです。
    「なんで俺だけ」という思いにずっと囚われていたら
    普通の人だって人格が歪むんじゃないでしょうか。
    何か安易な理由付けをして
    誰かのせいにするって言う思考は
    あの連中とおんなじ感覚がして好きになれません。
    ここではありませんけど、
    人種で自己愛が多いとかいう人もいます。
    じゃあ、その人種のすべての人を見たのかと、
    イラッとすることもあります。
    なんでそこまで断言出来るのかがわかりません。
    自己愛はいる。確かにいます。あんなのは死ねばいいです。
    人の大事なものに泥をなすりつけて悦に入っているゴミクズというか、あんなのは人間ですらないと思います。
    なんかすみません。

  8. クッキングママ より:

    知的障害児の母です。
    元夫が人格障害っぽく、障害は私のせいだと言ったり、子どもに一切関わろうとしないのに、こどもの障害を会社の大規模忘年会で発表したり、かわいそうな障害児の父アピールが激しいです。
    離婚しても、裁判所で決まったルールを超えた要求をし(面会の期間を短縮したり、面会時間を勝手に延長したり)、私が拒否すると損害賠償請求訴訟を起こしてきます。
    子どもは甘やかして、障害をたてに周囲を脅すくずにはなってほしくありませんので、わかることからコツコツ教えてますが、最近は子どもが父親の異常性(話の矛盾、嘘、意味なく怒鳴る)にドンびきしています。
    障害のある小学生の子供に諭されて、逆切れして怒鳴ってる自分の姿は認識できないんだろうな。。
    自分が劣っている認定した障害のある我が子>自分の構図が。。

  9. せんち より:

    *** クッキングママさん
    お子様の障害は元夫にとって、同情を買うアイテムと化してますね。
    お子様が父親の異常性に気付いているのが救いです。

  10. でらせるな より:

    おはようございます
    本当に人間って、色々いますね…
    もうすぐパラリンピックが始まります
    自分を憐れんで、周りから特別扱いしてもらうのが
    当然と思ってるヤカラもいる一方で
    アスリートとして敢然と限界に挑戦する人々もいるんだから
    また映画の引用でナンですが
    「ビフォア・サンセット」という映画があって
    9年ぶりに再会した男女が
    短い時間、パリの街をひたすら語らいながら
    うろんころんする映画で
    イーサン・ホークが
    たとえばケチなやつと陽気なやつがいて
    ケチが大金持ちになったのに
    やっぱケチはケチのまま
    幸せと感じることがなく
    陽気なヤツが車椅子生活になったのに
    陽気なヤツは、やっぱり陽気だ、
    みたいなことを言う場面があった気がします
    そうかもしれないな。と思いました

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