自己愛性人格障害(296) それぞれの命の価値

芥川龍之介のような、ぼんやりとした不安を感じている。
相模原の事件、都知事選の胸熱くなる真摯に国家を憂慮した演説、
人格障害者どもが跋扈する嫉妬と羨望渦巻く世の中。
そういうのとは距離を置いて、世俗を離れ、
可愛い嫁さんと二人で田舎でのんびり過ごしたいと思ったりする。

*****

今から、主観を排して、単に事実を述べる。

【親戚の子の話】
ボクにとって大切な親戚の叔父さん、叔母さんがいる。
生まれてきた初孫が知的障害である。
叔母さんは将来を心配して、
「生まれ変わって、この子と結婚して面倒を見たい」と言っている。
年老いて子供たちが自立した今、この孫のことが生き甲斐となっている。
ボクにとっても大切な甥であり、毎年お年玉をあげている。

【婆ちゃんの話】
ボクの婆ちゃんは死ぬ前の3年間くらい意識なく、
ただ栄養を身体に注入されて生きていた。
栄養の管を抜くと「餓死」すると医者は言う。
その様子を見て、ボクの両親や親戚一同、
自分の時はこういう処置はしないでくれと言っていた。

【叔父さんの話】
先述の親戚の叔父さんが、やはり意識がなくなり、
栄養の点滴と呼吸器をつけられて延命されることになった。
本人は、そのような措置は望んでいなかったのははっきりしている。
しかし、叔父さんが生きている、それだけで叔母さんの心の支えになる。
叔父さんの延命措置は、本人ではなく叔母さんのためだと説明を受けた。

*****

大東亜戦争末期の特攻隊は無駄死にだと言う左翼の言説がある。
ボクはそうは思わない。
大切な日本という国を命を張ってでも守る、
欧米人には理解できないだろうが、
これはクレイジーでも何でもない、最も純粋な愛国心の発露である。

何度も書いているが、 自分の命が最も大切という日教組的な教えに違和感を覚える。
例えばボクは、嫁さんのためなら死ねると断言できる。
嫁さんが住んでいる日本を守るためなら、
いざ戦争になったら特攻に志願してもいい(その後は靖国に入れて欲しい)。

誰かのために生きる、という価値観を持ち得なければ、
その人は淋しい人生ではないだろうか。
自分の命より大切なものがない人は、
つまらない人生ではないだろうか。

*****

本人の意志とは関係なく、
仮に障害があろうと、その人が生きているだけで、周囲の人に安寧を与える存在もある。
あるいは本人の意志で、誰かのために生きる、という価値観もある。
いずれもお互いの人生を充実に導く大切な要素であると思っている。

相模原の事件の犯人には、 犯行前にそのような価値観に気付いて欲しかったと思う。

そして、そのような価値観を破壊する人格障害者どもこそ、
他者に迷惑を及ぼす存在として、生きている価値も意味もない。

*****

さて、いきなりこの項目を読んだ人は、
ボクの書いていることに矛盾を感じるかもしれない。
人格障害者だって誰かのためになっているかもしれないではないかと。
例えば人格障害者にだって親はいるではないかと。
それに対するボクの反論はこちらを読んでいただきたい。
自己愛性人格障害(006) 障害ではない

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20 thoughts on “自己愛性人格障害(296) それぞれの命の価値

  1. 甘酒 より:

    初めてコメントします。
    相模原の犯人は「障害者は生きていても仕方ない」旨の発言をしていたそうですね。
    そもそも犯人は、自分自身が価値の無い人間だとは何となく自覚してるような気がします。
    「俺だって生きていても仕方ないのに、自分より劣った人間がのうのうと生きているのが許せない」
    これが彼の本音ではないかな〜と思うんですが、だとしたらまず自分から死ねば良いんですけどね。

  2. せんち より:

    *** 甘酒さん
    コメントありがとうございます。
    相模原の犯人にも、親がいて恋人がいて友人がいた。
    それぞれの関係性に温度差はあるかもしれませんが、
    社会の一員として必要とされる面もあったと思うんです。
    そういった点では生きる価値は誰にでもあります。
    ただ、それらの価値は他人に迷惑をかけないという前提です。
    ましてや19人も殺害するとは、他人の生きている価値を否定するわけですし、
    犯人自自身の価値と相殺しても足りないものです。
    つまり彼は生きている価値がない。
    そして国家の法もそのような判断をするでしょう。

  3. かりん より:

    相模原の事件があってから 
    とても嫌な気持ちで 心が穏やかではなくなりそうです。
    彼は社会の一員として 必要とされる面があったとしたら 
    偽りの上にあった事でしょう。
    人格障害者という存在があることを世の中に知らせるために 
    そして 彼が特殊だったと言うことではなく このような思考の殺人予備軍が増えている事を 踏み込んで 報道でとりあげてほしい。
    もっともっとこの人物像について報道する中で 人格障害者の存在
    や説明 過去の事件例の解説をし これからの問題点など  警鐘を鳴らしてほしいと思います。
    そうすれば モラハラの洗脳にあって相手が人格障害者と気が付けていない人も気が付けるきっかけが増えるだろうし
    人格障害者が 人を陥れる 嘘をつきにくい世の中になってほしいと思う。

  4. せんち より:

    *** かりんさん
    これは予測なのですが・・・
    おそらく相模原の事件は特殊事例として処理されるでしょう。
    これは次の項目で書く予定ですが、施設側の落ち度はありません。
    それに加え、特殊事例でなく一般的に内在する問題だとしたら、
    広く対応策を講じなければならなくなります。
    その予算もノウハウもありません。
    おそらく一部の例外的なキチガイのやったこととして処理されると思います。

  5. 燃ゆる花 より:

    こんにちは。
    初めてコメントします。
    私は飲食店でアルバイトをしている学生なのですが、ここ半年くらいに通い始めた客が、このサイトで紹介されている所謂自己愛性な人の特徴にぴったり合致するものなので、対処法も含め勉強させて頂いているところです。
    他のサイトも閲覧している時、このブログの方の考え方に???となってしまいました(もし既にせんちさんや他の方が紹介されていたらごめんなさい)。
    http://utu-drug.com/category/mental-disease/npd
    つまるところ、「まず自分が理解の心を持とう!」と。人権派(笑)なんですかね?w
    私は、当該の客も含め、お客様全員に誠実かつ迅速な対応を心掛けています。まあ当該に対しては裏で文句タラタラですがw ただ、その客が最近は私を見るなり、警察に相談した方が……と考えるレベルで恫喝をするようになっています。私を見るなり、です。これを奴は他のスタッフには「あいつがミスしたから怒鳴った」と言いふらしています。
    そんな状況でも、私が奴に理解を示し、服従すべきなのでしょうか?実際、そいつとうまくやっている人は、本来すべきでない割引を特別に付けたり、キレるのが分かっているので優遇している人ばかりです。この店は、クレーマーの為にあるのでしょうか?まず相手が障害なのだと理解して、それがこちらの働きかけで治せないなら、離れるのが私達のストレスを最小限にする唯一無二の方法だと私は思います。せんちさんがそれを推奨されている理由が、私にも痛いほど理解できます。
    人間は誰にも価値がある。プラス面を見ればきっとそうなのでしょう。しかし、世界の安定がアメリカ軍の殺戮行為によってもたらされている……という見方もできるように、人間には価値だけでなく、生きているだけでも罪があると思うのです。そう思うから、他人を許したり、自制したり出来る訳で。その機能が壊れている人格障害者は、同じ世界を生きる事自体フェアじゃないと思います。彼らを更生できるカウンセラー(いないと思いますがw)ならともかく、素人が彼らを理解し、受け入れようなんて逆に傲慢と言ってもよいかもしれない。人格障害者がコミュニティに関わらなくても、70億人の中からまだまだ好きなだけ人を選べるのです。敢えて性格の捻じ曲がった人物と仲良くなる必要なんて欠片もない。
    私のケースは相手が客なのでその点では気を付けなければなりませんが、今度一方的に恫喝された時は警察に通報しようと思っています。
    長文、大変失礼しました。

  6. せんち より:

    *** 燃ゆる花さん
    コメントありがとうございます。
    学生さんかー若くていいなー。
    今の知識でその頃に戻りたい(笑)
    ちらとご紹介のブログを読みましたが、
    コイツわかってねーなーという感じです。
    「相手は変わらないから、自分が変わろう」
    こんなことしたら、被害が拡大するしかないと思う。
    もう、離れるしかないんだってば。
    お客様は神様だと思って接客することは大切だけど、
    客側が自分で神様だというふるまいをしてはいけない。
    第一、他の神様の迷惑になる。
    今、世界の人口は70億なんですね。
    ボクが中学生の頃は45億と習いました。

  7. あいうえお より:

    “私自身、モラハラ加害者でありモラハラ被害者の
    立場を何年も経験してそれは確信に至りました。”
    と、そのブログに書いてありました。 
    キチガイを愛せ?、答え「やだよ」

  8. せんち より:

    *** あいうえおさん
    ということは、この方はまだ現在進行形なのでしょうか。
    そしてその内、気付く時が来るでしょう。全て徒労だと。

  9. チェンミン より:

    >燃ゆる花さん
    >せんちさん
    こんにちわ
    久々のコメントです。
    方々で書いているので、こちらでも書かせてもらったか覚えてりませんが、この「相手は変わらないから、自分が変わろう」は、某宗教の今でも尊敬する偉い人に、私も言われた事があるんです。
    当時私は29歳くらいでしたかね。この言葉を信じて実践しましたが、ダメでした。
    自己愛はますますパワーアップするんですよね。
    人には2種類います。
    1.人から譲歩を引き出すと罪悪感を感じる人(後味が悪いですよね)
    2.人から譲歩を引き出すと得をしたとほくそ笑む人。
    自己愛は勿論この2にあたります。そして、被害者が「相手を変えるのではなく自分が変わろう」とすると、自己愛からしたら、この2が「得をした!やったー!」というレベルではなく、コイツからもっともっと奪い取ってやろう考え、ましてや相手が譲歩したという事は、自分が正しいからだ!という考えしかしないようになるんですよね。
    コレがパワーアップです。そして、仰る「被害の拡大です。」
    私はこれを身をもって体験しました。
    この「自分が正しいからだ!」に至るまでの自己愛とターゲットの応酬は、自己愛は手段を選ばずありとあらゆる卑怯な手段を使ってまでターゲットから譲歩を引き出すのでターゲットからすると自己愛の質の悪さをとても感じるのです。
    この時の自己愛の特徴として、「感情に訴える」という手段が多く見られるんですね。もっと言うとターゲットに罪悪感を植え付ける事が上手といいますか。
    そしてこの感情に訴える方法の一つとして、どこまでも自己愛は自分こそが被害者だという立場を崩さない。
    そして嘘を吐いてまで自分こそが被害者だと言い張る。
    もっとタチが悪いのは、この嘘が記憶にまでなっている。(記憶を作ると私は思っている)
    まだ自己愛の卑怯な手段はありますが、その例として以下の話を挙げます。実際にあった話です。
    20歳の頃、私は付き合っていた女性に浮気をされました。ひょんなことから発覚したのですが、その際の話し合いの最中に、私は悲しみに打ちひしがれながら、左横にいた彼女の額を人差し指で小突いたんですね。「ふざけんなよ・・・」と言いながら・・・ほんとうに「ちょん」と言った感じです。そうしたら次の瞬間、
    「殴ったぁあああああああ!!!!!!!!!!!!」
    と泣き始めたんですね。
    自分が加害者なのに、ちょっとした切欠と隙を見つけて被害者になろうとし、自分が優位に立とうとする。
    コレが自己愛です。そして後の私の嫁になった人です。
    こんなのと一緒に居たら心が病むんです。
    心が病まなくても、身体に出ます。
    逃げるしかないんです。相手にしてはイカンのです。
    自分が変わっても被害が拡大するだけです。あいつらパワーアップするんです。
    PS.上記に記した私の尊敬する宗教の偉い人を紹介してくれた友人は、これまた嫁さんが自己愛(何らかの人格障害)なんですね。話を本人から聞く限り。
    しかも国家資格を持った稼ぎの良い女性なのでもっとタチが悪い。(ウッキーが自称持っているという資格ですw)
    その友人、ことある事に「俺も悪いからさ~」って言っているのだけれど、じゃあ、友人が自己愛奥さんに与えている事とその奥さんのしている事を比べたら、圧倒的に友人の方がいろいろとして与えている。特に家族への愛情といった部分で。
    まあ、宗教べったりで私の人格障害話は聞かないので仕方がないですが、奥さんが子供を連れて出て行った話を聞いた時は「お!良かったじゃん」と私は逆に喜びましたわ。子供は可哀想ですが。
    最後に、「逃げる」という行為に後ろめたさを感じる人がいるかもしれませんが、日本人は「逃げる」という言葉にどうしても卑怯さを感じてしまうんですね。私もかつてはそうでした。でも、逃げる=卑怯なんてどこの辞書にも書いてありません。
    日本人の美徳として「城を枕に討ち死に」があります。逃げないで最期まで戦う姿勢に美徳を感じるせいか、逃げるという事に後ろめたさを感じるようです。
    でも、人(自己愛傾向のある人)はこれを逆手に使う。
    この件はどうしても気が進まないから、自分には合わないから、やりたくないといった事を言うと
    「そんなのは逃げだ!」(逃げずに戦え!の意ですよね?)
    となどと言い放つ。じゃあ、と意地を張ってこの言葉を放ったヤツから「逃げ」という評価を返上、挽回するために被害者が頑張って失敗するとその時には当の言い放った本人はただアドバイスしただけ。などと言ったりします。責任持たないんですね。
    (私の親兄弟がこれでした。ある意味日本人らしいといいますか・・・そして私は高校時代から病みました。)
    これを読んだあなたが、自己愛から逃れ離婚したい。離れたい。別れたい。等、親兄弟に相談した場合に、予想される言葉ですが、当の本人たちに自己愛の正体なんぞワカランのですから、逃げていいんです。
    そして「逃げ=卑怯」とはどこの辞書にも書いていません。
    堂々と逃げてください。

  10. 甘酒 より:

    せんちさん
    お返事ありがとうございます。
    犯人にも家族や友人や恋人がいて必要とされる存在だった面もある、私もおっしゃる通りだと思います。
    ただ私が言いたかったのは、社会や国家が犯人の生きる価値を否定する以前に、彼自身が自分自身の生きる価値を否定して生きてきたからこんな事件を起こしてしまったのではないかなという事です。
    自分の意志や自尊心を押さえ付けられた結果慢性的な劣等感を持ち始め、自分より恵まれている(ように見える)人間に被害者意識を持つようになる。
    わざわざ就職先に障害者施設を選んだのも、相手に恵むことのできる自分の存在意義を安易に得られるからという印象を受けました。
    だから本当に犯人が殺したかった相手は深層心理的には別のところにいるような気がします。
    そういった本心に背を向け、容易に命を奪える相手を選んだところに私の「まず自分から死ねば良い」というコメントが出てきたわけです。
    もちろんこれはあくまで私の受けた印象であり、実際犯人が何を思って犯行に及んだのかは分かりませんが。

  11. みるく より:

    せんちさん
    初めての書き込み、失礼いたします。
    私の身近に自己愛みたいな人がいるのですが、長年の付き合いですがどれだけ時間を重ねても嫌悪感は増す一方で、人生でこんな人とは会ったことがないし何か他の人と違っておかしいとずっと感じておりました。
    どうしてもその人と縁を切れず悩んでいたところ、最近こちらのサイトを知り、常々勉強させていただいております。みなさんのコメントなども合わせて読み、とても心の支えになっております。本当に感謝しております。
    初めての書き込みで、図々しいとは存じながらも、この自己愛への対応について少しご相談させていただけないでしょうか。
    もし目を通していただけたなら幸いです。乱文失礼いたします。
    私の主観で自己愛と決めつけることもできないですが、特に自己愛に当てはまるかなと思ったところとしては、以下のようなことがありました。
    ・ペット禁止のアパートで隠してペットを飼っていた
    ・後輩の相談などにはかなり親身に話を聞きアドバイスするが、そのあとにはいつも「私のおかげでうまくいったんだから感謝しなさい」発言
    ・自己愛がターゲットにした相手には「本当にお金に困っている、助けてほしい」または「みんなのためにこれを買いたいから協力して」と言って、お金を納めさせる。ときには「お願いだから説得してほしい」と周りに頼みこみ、一人を説得する
    ・人が困っていると、積極的に恩を売る
    ・健康には異常に気を使ってサプリメントなど集めているが、運動など自分がしたくないことはしない
    ・気に入っている相手に対しては、お金を払わせないで済むよう工面するが、代わりにターゲットの相手から集金したり、こういう使途にも必要だからと額を多く提示する
    ・権力や地位に執着している
    ・人を自分のランク付けで評価しようとする
    ・人が大勢いるところでよく自分は可哀想アピールをする
    ・周りに対して「みんなやるべき」と言ったことでも、自分がやりたくないことは「私はこういうトラウマがあるから」と理由をつけてやらない
    ・周りの人が公共の場に私物をおかないように配慮していても、自己愛だけは平気で「効率が大事だから」と自分のものを置き散らかす
    ・お金の管理を率先してやり、明細は人に明かさず、いつも必ず多めに集金する
    ・自分が責められたときは、すぐに周りに言いふらす
    ・説教するときは、周りの人を巻き込んで必ず複数人での話し合いに持ち込み、「▲▲くんもそう思うよね?」と同調させる。心配した周りの人が黙っていると「何も意見を言わないやつは帰ってくれ」と脅す
    ・他の人の言っていた陰口を、「私にはこんなことも耳に入っている」とでも言いたいのか、その相手本人に伝えてしまう
    ・普段からテレビを見てても世間話をしてても批判ばかり言う
    ・ことあるごとに人付き合いの大切さを周りに説くが、なぜか自己愛には学生時代の友達が一人しかいない
    ・自己愛は素直な人たちにとても慕われているが、すべて言ううことを聞いてくれる年下の人しか周りにいない
    書き出したら長くなってしまいました><;
    自己愛の周りからは、何人もの人が、ときには静かに、ときには争って離れていくのを見てきました。
    争って離れていくときには、自己愛は本当に相手を追い詰めるまで徹底的にやるのを見てきたので、本当に怖いです。
    私も静かに縁を切りたいのですが、お付合いしている相手が本当に優しい人で完全に自己愛のことを信用しきって、一生そばについていくと決めているので、どうしようもなく困っています。そつなく付き合うにしても、私はすでに反感を買ってターゲットにされているので、大勢いる前で説教されたりを何度もされ、本当に精神的にキツイです。
    こういった場合は、どういう立ち位置を取ったらいいなど、もし何かアドバイス等あれば、ぜひ知見をお伺いしたいですm(_ _)m

  12. せんち より:

    *** みるくさん
    コメントありがとうございます。
    早朝5時台から人格障害の事を書かねばならないなんて大変ですね。
    もっとも、それは今こうして書いているボクも同じなんですが(笑)
    長い付き合いで、対感情は憎悪を増すばかり。
    なぜなら、みるくさんが「扉が開いた」からだと思います。
    表面的な愛想の良さ、口先の言葉、相手を信じたい気持ち、
    それらが、扉が開くことによって偽善性を帯びているのに気付いた。
    その後は、どれだけ良い事を重ねられようとも、
    観客を意識した偽善的な演技に見える。
    余計に嫌悪を覚えてしまう。
    人格障害かどうかとは別として、
    みるくさん自身の判断では、離れたいということですよね。
    列挙された事柄から、付き合う価値のない奴だというのが伺えますし。
    そして実際、何人もの人が過去に揉めて離れていっている。
    もう、みるくさんの心の中では結論は出ているはずです。
    ただ離れるにしてもフェードアウトが良いかと思います。
    静かに、いつの間にか。
    問題は、彼氏がまだその人の正体に気付いていなくて、
    嫌でも付き合わざるを得ないということですよね。
    ん~、もう彼氏に正体を知ってもらうしかないかな~。
    みるくさんが列挙した奴の言動は変です。
    ボク自身、こういう奴はいるなあと素直に受け入れられました。
    彼氏にも、理解を求めるよう、同じことを伝えてはどうでしょうか。
    それから、自己愛性人格障害について知ってもらうべきだと思います。
    みるくさんと彼氏さんには、
    今回の件に留まらず、人格障害の知識は、
    生きていく上で必須だとボクは考えています。
    その時は理解してくれなくても構わない。
    奴の言動を、そうなのかなという目で見てもらうだけで、
    彼氏にも異なるふうに見えるはずです。
    人格の異常は隠し切れない。
    それを彼氏に気付いてもらう、それが最善かなと思います。

  13. せんち より:

    *** 甘酒さん
    酒鬼薔薇事件の時のように、これから、
    いろいろな心理学者や精神科医が検証をしていくと思います。
    まあ香山リカのような怪しい奴まで、コメントするでしょう。
    なんでしょうね。
    もしかして犯人は自分の存在意義を示すために、
    障害者を殺害する=税金の無駄を省く=世間の役に立つ
    このような独自の論理を構築したのかもしれません。
    や、ボクも、他人を殺すくらいなら、
    犯人は自分から死ねばいいのにと思います。

  14. 奈良子 より:

    相手が変わらないのであれば、自分が変わる・・・。
    みなさんが仰る通り自己愛には効果ないどころか、自分のダメージが大きくなるだけです。
    私も自己愛という物の存在を知らない時に、自己愛上司と上手くいかないのは、自分が悪いと思っていました。
    言い方が悪かったとか、出過ぎたところもあったのでは・・・とか、じゃあ自分が変われば上手くいくかも?!
    でもそんな謙虚な気持ちは自己愛には通じませーん。
    むしろますます増長してきます、それが自己愛。
    ある日の仕事中に自己愛の前で私は過呼吸になりました。
    それは私の気持ちのバランスが崩れた瞬間でした。
    ずーっと理不尽なことを言われ続けて我慢してた気持ちが爆発して、本当は怒鳴り散らしてコテンパにやり込めたい思いと、でもやっぱり私が悪いんだから我慢しなきゃ(あと、今勤務中で会社の中だしとか)という思いが綱引きして、どうしたらよいか自分の中で混乱して分からなくなったのです。
    それ以前も不眠・蕁麻疹・胃痛・吐き気などなどありましたので、かなーり無理してたんだと思います(退職して速攻治りました)。
    とはいえ、チェンミンさんが仰るように、逃げること(私の場合は退職)に後ろめたさを感じていました。
    また自己愛から逃げると切れる人間関係もあるし・・・と躊躇してしまった事もあります。
    でも最終的には限界で逃げました。
    ただせめて逃げるにせよ、立つ鳥跡を濁さずでありたいと思ったので、退職するにあたって引継ぎは細かくメモして自己愛に渡してきました。
    でも自己愛には立つ鳥がその跡濁そうが、濁さなかろうが全く関係ないです。
    私が辞めた後のクレームは全て、「辞めた部下がやってたことだから私、分からない。」「辞めた部下から聞いてないから、知らない。」
    一方で私が残していったメモの中から使えるデーターはしれっと使って、自己愛が全部やったアピール。
    極め付け、最近の自己愛上司のお涙頂戴話は、
    「私は本当はこんな上の立場になるつもりはなかった。辞めた部下たちが好きなようにこの部署を操りたいからAさん(前の部署長)を辞めさせ、私を祭りあげて操ろうとした。陥れられたのは私、こんな事なら昇進断れば良かった。」
    だそうです(笑)。
    これ聞いた時に逃げることに躊躇はいらなかったし、誠意なんか全く必要なかった。とりあえず逃げるだけで良かったんだと。
    自己愛から逃れて切れる人間関係は切れて良い事も分かりました。
    本当にご縁のある人とは、今また徐々に関係が戻りつつあります。
    例の相模原の事件の犯人の友人と言う方が何人かテレビのインタビューに出て「(自分たちが彼の犯行を事前に)止める方法があったのではないか?」と、言っているのを見ました。
    それを見て、なんとも言えない気持ちになりました。正直、あのような人たちをこちら側がどうこうするるのは無理です。話通じませんから・・・。
    よく言われますが、大人の揉め事に100%どちらが一方だけが悪いという事はありません。
    でも自己愛にかかれば、悪いのは100%相手、自分は宇宙で一番可哀想なヒロイン(あるいはヒーロー)です。
    とにかく自己愛の被害に今遭われている方には、被害が最小なうちに逃げて欲しいです。

  15. せんち より:

    *** 奈良子さん
    ほんっっっっとうにそう思います。
    理屈なんか通じやしない。
    極論すれば、周囲の人間関係をすべて切ってでも離れるべきだと思います。
    悩みながら関係を継続するなんて人生の無駄だと思う。
    相模原の犯人の友人たちが、何を言っても、どんなことをしてあげても、
    奴は決行したに違いない。
    だから犯人の友人たちは責任を感じることはない。

  16. shingario より:

    >奈良子さん
    よく分かります。
    >私が辞めた後のクレームは全て、「辞めた部下がやってたことだから私、分からない。」「辞めた部下から聞いてないから、知らない。」
    >一方で私が残していったメモの中から使えるデーターはしれっと使って、自己愛が全部やったアピール。
    >極め付け、最近の自己愛上司のお涙頂戴話は、
    100%加害者なのに、被害者面するんですよね。
    自分が職場の自己愛(年上、女性)にみんなの前で大爆発した時は、その場はため息つきながら「私が悪いんです」と被害者を装い、少し時間を置いたあとの話し合いでは、開き直って自分は悪くないと。
    正直、撲殺してやりたかったです。
    最終的に効いたのは、事あるごとに間違いを正すこと。
    他人の足を引っ張ってばかりですから、仕事の実力はありません。
    間違いや非効率なやり方ばかり。
    それを正論でコツコツ、ボディブローを入れるようにやりました。
    あいつらは自分を否定されることが耐え難い苦痛なので、俺には異様に気を使ってくるようになりましたよ。
    同性だったり、上下関係があると難しいですが、理路整然と指摘するのは効きます。

  17. るる より:

    奈良子さん
    とても大変な思いをされましたね…
    最初はどうしても、「あれ?私、何かしたのかな…」と思いますよね。
    すべて自己愛の良いように良いように脳内変換されて、それを周りに言っちゃうんですから、こちらとしてはたまったもんじゃないです。
    法律ででもなんでもいいから、
    「こいつ自己愛です」的な目印をつけさせるとかなんとかできないもんでしょうか。
    アメリカの性犯罪者にGPSつけさせる(でしたっけ)ように。

  18. 奈良子 より:

    せんちさん、仰る通りですね。
    >だから犯人の友人たちは責任を感じることはない。
    話し合いしたところで論点すり替えてきますし、都合が悪くなれば激怒して黙らせようとします。
    そんな人に出来る事なんてあるでしょうか?
    自己愛とこんな話し合いをしたことがあります。
    私「みんな○○さん(自己愛)の指示待ちなんですが、お返事頂けませんか?」
    自己愛「私、返事してないことないもん。」
    私「いや、貰ってないって××さんも言ってます。」
    自己愛「あのね、私前から思ってたんだけど、奈良子さんってこんな会社でお勤めするのって勿体ないと思うのよ。」
    私「は?」
    自己愛「あなたなら、もっと他の会社でその能力を活かせると思うのよね。いつも頑張れって思ってるのよ。」
    こんな人に私は納得してもらうまで、自分の時間と労力を費やす価値は今ならはっきり、ないと思います。
    >すべて自己愛の良いように良いように脳内変換されて、それを周りに言っちゃうんですから、こちらとしてはたまったもんじゃないです。
    るるさんの仰る通りです。
    案の定この話し合いのあと、他部署の人に自己愛が「うちの部下って長である私に意見してくるの!それに指示も聞かずに勝手にやっちゃうの!あり得なくない?」と言ってたそうです。
    おまけにちょっと意見しただけで、誰もいない時にすれ違いざま自己愛に「あなた私より偉いと思ってるんでしょ?」と言って走り去られた事もあります。
    都合が悪くなると、「袋のサイズが違うって奈良子さんに責められた~。」と過去の事を突然蒸し返してきたりもしました。
    恐らく自己愛の被害に遭ってる方なら分かると思うのですが、袋のサイズが違うと私は『責めて』はいません。
    責めてはいないのですが、あんまりにもそれ以外の事も指示が杜撰だったので、思わず私もきつい口調でちょっと言っただけです。
    でも自己愛にかかれば、1時間も部下如きが説教してきた!みたいなストーリーになってしまうので、あきれます。
    shingario さんみたいに、私もガンガン言ってみたかったです。
    私は必要以上に空気を読みすぎたり周りの目を気にしすぎたり、妙に人間関係を気にして自分をがんじがらめにしてしまう癖があり、結局最後までぎゃふんと言わせるまでには至りませんでした(ちょっとそれは心残り)。
    一時通っていたカウンセラーの先生から「自己愛に絡まれやすい人、共依存になりやすい人っているから、あなた自身の考え方の癖とか見直した方がいいかもね。」と言う話がありました。
    そういう意味では、自己愛との円滑な関係を築くために自分が無理して変わるのではなく、自己愛を寄せ付けないために自分が変わる必要ってあるのかもとは思っています。

  19. はなこ より:

    逃げましょう!!!
    兵法でも、「三十六計、逃げるに如かず」です。
    日本の剣豪で、誰もが知っているのは宮本武蔵ですが、この人 少年時代に関ケ原の合戦を経験して、剣の道に精進したけれど、 時は既に戦国から徳川の太平の世に移り、剣で手柄を立てるということが難しくなってしまったご時世でした。 ちょっと生まれるのが遅かった(伊達政宗なんかもそんな感じだと思っていますが。)ための苦悩のようなものを感じます。 話が脱線してしまいすみません。 戦国初期の剣豪に塚原卜伝という人がいます。日本の剣豪伝とかいう出版物をつくれば、必ずイの一番に取り上げられる人物です。私がこの人をすごいと思うのは、戦国時代に生まれ、戦国の世を剣の使い手として生き抜き、太平の世を見ずに戦国時代のうちに人生を終わった人なのに、驚異的ともいえる長命であった(82歳まで生きた)という事実です。 剣の腕もさることながら、人間としても非常に思慮深い人物だったのでしょう。彼の「無手勝流」というエピソードは有名です。以下に貼り付けます。
    ・・・塚原卜伝は、生涯に真剣勝負が十九回、参加した合戦の場が三十七回、その間一度も負けず、二百十二人の敵を倒したという。しかしいくら剣術の名人といっても、一生のうちそれほど人を斬れるわけではなく、そこにはかなりの誇張があろう。しかし、後世の剣客と違い、幾たびとなく実戦の修羅場をくぐり抜けてきた筋金入りの剣豪であったことは事実だ。
     剣名が挙がれば、当然敵も増え試合を申し込むも多数いたと思う。試合をして必ず勝とは限らないし、また、戦場では、どこから矢弾が飛んで来るかわからない。卜伝がそうした修羅場を生き抜き長命(八十二歳)を保ったのは、剣の強さばかりではなく、人一倍用心深かったからであろう。
    卜伝がいかに無駄な戦いをしなかったのか、というのが講談、落語などで知られる。あるとき、卜伝が江州琵琶湖の矢走の渡しで船に乗ったところ、そこにいかにも強そうな大男が大声で自慢話をはじめた。余りに煩く、他の船客が迷惑そうにしているのを見た卜伝は注意をすると、怒った大男は卜伝に船から降りて「勝負しろ」といきまく、卜伝は陸は見物人が集まってうるさいので、向こうの離れ島で相手をしよう、と言って島に船を着けさせた。男は腰の太刀を抜き島に飛び降りたが、それを見た卜伝は船頭から棹を借り、おもむろに岸を突き、わめき散らす男を島に残していったという。・・・
    きっとその大男は、「逃げるか、卑怯者!」と大声で卜伝を罵ったのでしょうが、卜伝は悠然と、「戦わずして勝つ、これぞ無手勝流なり。」と言ったとか言わなかったとか。
    私たちも、xx障害者らしき存在に絡まれた時は、日本一の剣豪に倣って、堂々と逃げましょう。そんなのに関わるのは人生の無駄、大切な自分の命の無駄遣いです。万一、戦うことを選ぶなら、証拠をかき集め、事実と証拠だけがものを云う法廷闘争に持ち込むべきで、それを選ばないのであれば、塚原卜伝のように逃げることで、戦わずして勝ちましょう。私たちが、平穏で幸せを感じられる生活を取り戻せれば、それで自己愛さんに勝ったことになりますよね。逃げるのは卑怯なことなんかじゃない、一番賢い勝ち方なんだと思います。
    どうやら私は「ごきぶりホイホイ」ならぬ「人格障害者ホイホイ」のようで、 これまでに対峙した相手は身内・上司・同僚・クライアントなど自分で選べないものも含めて軽く2桁を超えてます。(こんなの全く自慢になりません...いつも満身創痍です。涙)今もまた 逃げ切ろうと5年越しで頑張っているところです。(今度の相手は脅威的な粘着質。)
    この自慢にならない経験から、無手勝流の達人になるのが一番、とはっきりそう思っています。

  20. あいうえお より:

    嘘つきに他人を卑怯者などと罵る権利があろうものか、いやなかろう
    にしても自己愛の本性を見抜いたのは揃いも揃って同性なんです(笑)
    私はここらへんが奴は境界性人格障害かもしれんと思うところです。また、自己愛の言うこと聞くのはおとなしそうな男性ばかりで、奴らは私に対して攻撃するときも絶対一人ではしてきませんでした。一人でいるときは男のくせにチビで色白で何故か足も内股で本当に気持ち悪かった!

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