自己愛性人格障害(036) 被害者面すんじゃねーよ

ビゲンがおかしいのは誰しもが思っていることであろう。google検索に「自己愛性人格障害」と入れると、候補で「美元」がくっついてくる。美元は自己愛性人格障害のチェック項目に当てはまらない方が少ないという、 非常にわかりやすい例である。 ガチガチのガチである。

美元は、家族揃って有名俳優という男と結婚し、経済的にも今までと比べ物にならない裕福な暮らしを手に入れた。それらは全て夫が提供しているものであったし、本来、夫に感謝し、幸福を感じるべきであろう。しかし自己愛性人格障害者に感謝という言葉はない。やってもらって当然であり、自分はそれに値する特別な人間であると思っている。己が利益の為なら他人を平気で利用するし、そこに良心の呵責などというものはない。世の中を自分の物差しでしか見ない。高島政伸の言動から既に結婚生活が破綻しているのは、これはもう、日本中の誰が見ても明白なのに、唯一本人だけが復縁を望み、可能性があると思っている。まことに人格障害者ならではの思考である。

美元は、高島政伸と知り合い、結婚して、生活が変わったはずである。豪邸に住み、高島政伸の嫁ということでチヤホヤされ、誕生パーティには多くの人が集まってくれる。しかし、それは全て高島家からお金が出ており、人が集まるのも高島家の威光があるからこそであり、離婚によって、それが全てなくなってしまう。高島家の身内だからこその特権的な生活が出来なくなってしまう。普通は離婚したら仕方ないと思うだろう。

ワシの友人に、経済的な不安を抱えつつも家を出た女性がいる。女性から見た離婚とはそれくらい覚悟がいるであろう。ところが、美元のような人格障害者は考えが違う。相手の気持ちに立って考えられないのはもちろん、自分の都合の良いふうにしか考えられない。今までと同じ生活が出来ない=「私は見捨てられた」。美元は本気でこう思っている。なぜなら人格障害者だからだ。私は高島政伸に見捨てられた被害者ですよ、テレビで語れば同情を引くことが出来る、だって私、可哀想でしょ? 自己愛性人格障害者はいつも不幸自慢をして、被害者面する。なぜ離婚に至ったか、何が原因かに自分を省みることはない。常に悪いのは相手であり、原因は相手であり、自分には全く否がないのに、なぜこんな目に会わなくちゃならないの、と。

「今までと同じ生活が出来なくなるのは、私を見捨てた相手のせいだ」

この考えにものすご~く違和感を感じる。なぜなら「今までと同じ生活」が出来たのは相手のおかげではないか。恩を受けても当然のことだと考え、感謝の気持ちを持たない。むしろ恩を仇で返す。自分の否を認めず、被害者を装う。これは、誰がどう見ても、被害者は高島政伸だろうよ。美元ガチガチのガチ。

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