自己愛性人格障害(226) 子供 4 「Dead or Alive」

藤村操のような哲学的な姿を求めていたのであろう。 要するに、それくらい人生に真摯に向き合いなさいという意味だと思う。 乃木希典が明治天皇に殉死した際は、当時でも時代錯誤だと言われていた。 今だったら、藤村操も時代錯誤だと嘲笑されるかもしれない。 そして現代の自殺の理由の多くは、多分に世俗的なものである。 もし人格障害者が家族にいたら、 あるいは近親者が人格障害で、迷惑を被っていたら、 これはもう、人生やり直したくなる。 なぜ、こんな親の元に生まれたのかと、運命を呪いたくなる。 ボクは自分の今の人生に何の不満もない。 周囲の人たちに恵まれて非常にラッキーな人生だと思っている。 もちろん不満はないこともないが、 贅沢を言えばキリがない。上を見たらキリがない。 しかし、そう自分で思っているボクでさえ、 輪廻転生が本当にあるなら「当たり」が出るまで何度でもチャレンジしたい。 より完璧な人生に当選するまで何度でも自殺したくなる。 ***** 小川真由美の娘、遠野なぎこ、 二人とも書籍紹介コーナーで紹介した毒親の子供である。 いずれも自殺未遂を犯している。 気持ちはわからないでもない。 輪廻転生があるなら「当たり」が出るまで何度でもチャレンジしたいが、 そんな、あるかどうかわからんものに命をかけるわけにいかない。 哀しいかな人生は一度きりである。 その一度きりの人生が、毒親、人格障害者に蹂躙されたものであったなら、 そしてそれが、何らかの事情で離れられないものであったなら、 「現状から逃れるために」自殺する選択肢を選ぶ人の気持ちは、 少なくとも「誰でもよかった」「人を殺してみたかった」と言う奴よりは、 心情的に理解できる。 「現状から逃れるために」 ここで話は「自己愛性人格障害(224) 子供 2 「事件」」にリンクする。 祖母と母を殺害したこの事件の女の子は、その動機として、 「躾が厳しかった、この状況から逃れたかった」と述べている。 人格障害者への対応は、逃げる、離れる、これしかない。 話が通じない。自分の都合の悪いことは虚言を弄して認めない。 無視が最も効果的であり、変に相手をしてはいけない。 しかし、それがもし家族だったら、 この女の子のように経済的に親に頼らざるをえない立場だったら、 簡単に逃げれない状況だったらと想像すると、 どちらか一方がこの世から消えるしかないという考えに至るのかもしれない。 小川真由美の娘や遠野なぎこは自殺未遂である。 仮に未遂でなく完遂だったら、形は自殺でも実質的に親に殺されたようなものだ。 そして事件の女の子は、逆に自分を虐待していた祖母と母を殺した。 この二つは、死んだ人間が加害者か被害者の違いであって、 本質的には、被害者が現状から逃れたい、 その他の方法が見つからなかった、という点で共通している。 そして本当に悪いのは、もちろん人格障害者、毒親である。 ***** ちょっと話が重くなった。 最後に秋葉原通り魔事件の犯人の弟、彼もまた自殺しているが、 突然、歴史的な凶悪犯の弟という立場になり、 生きていくことを拒否した人間の言葉で本項をしめよう。 「自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。 加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。 僕は生きることをあきらめようと決めました。 死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。 どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」 そんな彼に「生きていたらきっといいことあるよ」などと言えるだろうか。 きっと、そういう陳腐な言葉も超越して至った境地なのだろう。 だからボクは自殺を推奨はしないが、 心身の安寧を得る手段の一つとしては、 肯定くらいしてもいいのでは、くらいに考えている。]]>

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