自己愛性人格障害(163) 人格障害者の自覚 – 遠藤綾/エアさんへ –

お問い合わせ さて先日、嫁さんが実家に帰っていたので、これ幸いと、 精神病院に勤務する看護師の方と食事デートをしました。 趣味を通じた昔からの友人で、もちろん嫁さん公認です(笑) 世間的には精神の病と人格障害が一緒くたにされている嫌いがあり、 確かに共通する症状はあるような気がしますが、 ボクは、それはまったくの別物であると思っています。 そもそも病院は、建前であっても治療する場所であって、 精神の病は治癒する場合もあれば、薬もある。 一方で人格障害は、まさに障害であって治療で改善することはなく、 あるのは周囲の対処方だけ。 耳の障害が回復するなどありえないと、 佐村河内の発言を医療界が否定した事は記憶に新しい。 回復しないが故に障害なのだから。 「障害」と「病気」の大きな違いは、 治るか治らないか、と言っても過言ではない。 そして人格障害の特長として挙げられるのは、 自身の万能感。 自分は常に正しいという自意識である。 故に失敗は他人のせい、成功は自分のおかげという、 非常にムカつく考え方をし、実際にそれを口に出しアピールする。 だーかーらー、人格障害者には人格障害たる自覚がまったくないんだってば。 ここが重要なポイント。 酔っ払いが、酔っぱらってないよ~ん、と言ってるのを想像して欲しい。 いや、そんな生易しいものではない。 人格障害者が変なのに、人格障害者から見れば他の人がおかしいと言うのである。 自分が正しく、他の人たちが変だと。 この辺のニュアンスは、人格障害者ウッキーの話を読んできた方はわかると思う。 人格障害者どもは、自分が人格障害である事など露にも思っておらず、 むしろ、あの人が変だとか、あの人がおかしいとか、 自分のことを棚にあげてそういう悪口を言うのが大好きだ。 エアさんのように、たまに「自分は人格障害でしょうか」とコメントをしてくる人がいる。 ボクは言いたい。そうやって自覚症状がある、それだけで人格障害者ではないと思うと。 あの人格障害者どもの自覚症状のなさは異常だと思う。 100人いて1人だけ意見が違っても、 世間一般常識は自分であって、 他の99人が間違っていると主張する連中が、 自省の念、反省、そんなものあるわけがない。 ましてや自分が人格障害であるなど、認めるはずがないじゃないですか。 いくら指摘されても、違う!違う!ウッキーッ!と発狂する連中が、 「自分は人格障害でしょうか」などと殊勝な事を言うと思いますか? だからこそ、ボクは断言できる。 遠藤綾/エアさんは、少なくとも人格障害などではけしてないと。 次に、対人関係における困難さについてです。 エアさんは、でこぽんの法則の記事で書かれた会話の例が、 人格障害でなくとも起こり得る可能性について言及されています。 これらは、一見、同じ様に見えても、 動機を含め、似て非なるものではないかと思っています。 「思ったことと違うことを口にしてしまう」にしても、 ムカムカさんが書かれているように、 故意か無意識かという点で、全く異なります。 世の中には、人格障害でなくても、 自分のことばかり喋る人がいるものです。 ボクも少しその気があると思いますし(笑) でも、そんなボクでも昔から多くの友人に恵まれ、 また素敵で可愛い嫁さんがいる。 僭越ながらボクがエアさんにアドバイスできるとしたら、 何でも話せる友人をひとり作ってみることでしょうか。 だけど、それは恋人や配偶者でないほうがいいです。 第三者として、自分の性格、状況、懸念していること、 全て話して、それを受け入れてくれる人がいれば心強い。 そして必ずそういう人はいるはずです。 友人はおろか、普通の人間関係も構築困難なのが人格障害者どもです。 人格障害者ウッキーはもちろんのこと、 人格障害者どもに離婚が多いのは偶然ではありません。 しかしエアさんは、発達障害に理解ある人と接する事により、 徐々に自信が持てるようになり、自信がつけば、 誰とでも臆することなく接する事が出来るのではと思います。 人格障害者は大嫌いですが、 エアさんみたいに、真摯に自分に向き合おうとする人は好きよ。 ボクが友達になって応援したいくらい。]]>

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10 thoughts on “自己愛性人格障害(163) 人格障害者の自覚 – 遠藤綾/エアさんへ –

  1. ぴな より:

    あー、自分こそ人格障害に当てはまるんじゃないかという気持ちになるのって、わかるわ。自己愛そのものは誰でも持ってるものだろうし。
    実際、自己愛生人格障害の人と接している時は「私がおかしいのかな」としょっちゅう思ってました。今でも「自分って変」って思うことは多々あります。
    最近は「思い出し笑い」ならぬ「思い出し怒り」で一人で憤慨する自分。我に返ると、自分ってどっかおかしいのかもしれない、なんて思いました。
    我に返るって、大事なんですね。

  2. せんち より:

    うーむ、自分の書いた文章を読み返してみて、
    またパンケーキさんのコメントを読んで、
    ボクもまだまだ思慮が浅いかもと思ったなぁ。
    人格障害者が、そうではない、という返事を期待して、あえて、
    「ワタシ、人格障害かしらん」と聞いてくる可能性もあるかも。
    そもそも、そうでない、という返事を期待して、
    あえて卑下する言い方をするのは、
    ボクも人格障害者ウッキーで経験済み。
    自己愛性人格障害(040) 卑下自慢
    エアさんが、そうではないという前提で、読んでください。

  3. パンケーキ より:

    私もここの話に参加させて下さい。
    自己愛の自覚についてですが、あえて自分を悪く言って相手にヨイショさせるためか、泣き落とし目的がほとんどなのかなと個人的には思います。
    実際そうだったので。
    思い返しても、どうせ俺なんて系と、切り捨てに待ったをかけるツーパターンだけでした。
    前者は、そこでチヤホヤしたり希望を叶えてやらないと不機嫌になって八つ当たりに発展することも多く迷惑でしたね。
    後者は、本当に一時的でした。言った言わないに縺れ込んだり、開き直って相手の欠点を掲げて反論したり。後で悪びれもせずあんなの嘘だとのたまったこともあります。
    それに、そもそも二転三転するのに自覚していると言えるのかどうか…、こんなことを突き詰めて考えたことはないからもうよく分かりません(苦笑)。
    時と場所を変えるとその話はしなかったことになったり形を変えてしまうことが多いので、一貫性を伴うことが全て無理なように思います。

  4. 遠藤綾/エア より:

    回答ありがとうございます。
    パンケーキさんが、自覚がある人格障害者でも、「切られそうになると助けて欲しいと縋ってくる。それも、周囲には嘘を吹き込んだり根回しをしながら」「自己愛のこういった振る舞いを迫真の演技とみなすので、より悪質だと警戒する」「『そんなことない、自覚をしているんだから大丈夫、関わっていい』と相手から言わせたくて言っているんだなあと解釈します。酷いこじつけだと思うかも知れませんが、それだけ繰り返し同じパターンを見てきたので。」
    という文章を見たので、「自覚があるだけまだマシ」とは限らないみたいなんですよね。パンケーキさんが関わった自己愛の様に、自覚がある分、悪質な事例もある。
    漫画家・西原理恵子さんも自著『この世でいちばん大事なカネの話』で、「何にもなくても認められたかった、何にもなくても好きになって欲しかった」と語ってましたし。
    きっと、自覚ある人格障害の人達も、上述の様にたとえ何もなくても周囲に迷惑ばかりかけても、認めてもらいたかったのだろうな。と思います。どんな人でも、自分を丸ごと肯定してくれる人は必要、かつ幸せだろう。それすらいない人は、絶望しかないから。
    実際にその人と付き合えるかとなると、話は別だけどね。

  5. ピースケ より:

    アメリカの統計ですが
    パーソナリティ障害(今はあまり人格障害とは言わないらしい)の出現率は人口の約15%だそうです。
    6~7人に一人はいるという計算です。
    自己愛型や境界型など、タイプはいくつかに分類されますが
    私の感覚では、そう簡単に線引き出来るものでもないと思います。
    自己愛型などに比べ、境界型は他の精神疾患を合併したり、自殺未遂などを起こしやすいので病気に気付かれる率が高いようです。
    境界型が一番研究が進んでいると言われるのはこのあたりが要因でしょう。
    検証対象が多い方が研究が進みますから。
    境界型には寛解例(症状が消失する)も多いようですから、研究が進めば自己愛型にも活路が見いだせるかも知れません。
    「気付く」というのは病気を治す最初の一歩だと思います。
    気付きの次に来るのが確認と救助を求める行為です。
    私にも「私はこんなに苦しんでいるんだから助けてよ」と思っていた時期がありましたっけ。
    英会話で良く使われる「May I help you?」というフレーズは非常に示唆に富んだ言葉ですね。
    彼らは経験で「ちょっとおかしい人」が結構な確率で出現するということを知っている気がします。
    何かおかしいと思ったらカウンセリングを受けるなり、心療内科にかかるなり、もっと気軽に心のメンタルに向き合える社会になるといいのですが・・・
    今の医療は患者を薬漬けにする傾向があるので、廃人になって税金のお世話になるよりは、変な人で自活出来ていた方がまだ平和なのかも、と思います。

  6. パンケーキ より:

    これは経験上感じているのですが、広汎性発達障害の人は、自己愛側の言い分を信じ込んだり鵜呑みにする傾向がありそうです。
    一説として、いじめの主犯は自己愛(サイコパス)、実行犯はアスぺルガー、と聞いたこともあるので。
    ところで、以下の文で気になったことがあります。
    >「何にもなくても認められたかった、何にもなくても好きになって欲しかった」
    >たとえ何もなくても周囲に迷惑ばかりかけても、認めてもらいたかったのだろうな。と思います。どんな人でも、自分を丸ごと肯定してくれる人は必要、かつ幸せだろう。それすらいない人は、絶望しかないから。
    私の考えでは、この関係は、本来、子供が幼い内に親から受ける愛情や距離感です。子供と大人、両者に絶対的な力の差があってこそ成り立ちます。
    大人が他人に求めるものではないと思います。それこそ、のしかかる行為、相手が重みに耐えきれずに潰れます。
    また、相手がどうするかは100%相手次第、強要することもすべきではないです。
    それに、愛情はもらうばかりが幸せではありません。
    与える幸せも知ってほしいですね(故ダイアナ妃が示した生き方です)。

  7. せんち より:

    ボクの大好きなビートルズの、最後のアルバムの最後の曲。
    本人たちはこれが最後のアルバムだと意識していたであろう、
    その曲名はズバリ「The End」。
    その歌詞が簡潔かつ哲学的で、
    ビートルズの基本的な姿勢を表現している。
    And in the end.
    The Love you take is equal to the love you make.
    結局、あなたが得る愛というのは、
    あなたが与える愛に等しい。

  8. こゆきりん より:

    >一説として、いじめの主犯は自己愛(サイコパス)、実行犯はアスぺルガー
    私の以前の職場では、いじめの主犯が自己愛で実行犯は躁鬱病・自己愛(実行犯とはタイプが違う)・反社会性 と思われる人でした。
    アスペルガーはそれ自体モラハラをしますので、自己愛に洗脳されてもされなくてもかなり厄介です。
    先回りして相手の感情が読めないのでいわゆる脳と口が直結しているのでそれが原因で相手を怒らせます。
    アスペと自己愛の違いはアスペはかなり純粋に真っ直ぐに融通が利かないオカシさがあるが、自己愛は作為的で根回し上手、悪意に満ち満ちていて鼻がひん曲がりそうに不愉快なところです。
    両者は似ているようでまったくの真逆にあると思います。
    以前の職場は特に上司が馬鹿でしたが、多分ADHDと思われます。これも自己愛と相反する性格で相手の言い分を真っ直ぐ受け止め、自己愛に洗脳されるままになってました。
    自己愛はこの馬鹿上司を言い様に操り職場を引っ掻き回し放題、最後の方は修羅場でした。
    ちなみに自己愛の手先になっていた躁鬱病もかなり酷かったです。
    特に被害妄想が酷く、「●●さんにつけられた」などと平気でいうのでまず正常ではないだろうというのが誰にでもわかる状態です。
    もうあんな職場はこりごりです。

  9. 転落 より:

    こんにちは。
    自分が自己愛ではないか、という不安は自分が自己愛へについてブログを書いているときもふと思いました。
    ニーチェに「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉があり、化物(自己愛)と真正面から戦っていくうちに自分も同じ化物になってしまうのではないか?と。
    正直今もありますが、こういう客観性を持ち続けるのは自分にとって悪いことではないなと思います。

  10. せんち より:

    転落さんでさえ、そう思いましたか。。。
    客観的に、自分もそうではないかという不安。
    ボクも自問するときがあります。
    しかし、それ自体が人格障害ではない証拠ではないかと思ったり。
    リア王のフール(道化)のように、
    自分を客観視してくれる存在を、
    自分の中に作っておくようにしています。

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