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プロフィール

【名前】
せんち

【年齢】
成人式は二度終えております。

【趣味】
寺社仏閣巡り
近代日本史探求
神話から近代に至る日本の国体の研究

【自己愛性人格障害 -でこぽんの法則- を作った理由】
このホームページの前説にもありますが、
ボクが経営する会社の一部門として訪問介護/居宅介護支援を行なっていた際に、
その管理者として据えたのが自己愛性人格障害者だったのです。

何しろ、平気でウソはつく、責任逃れはする、物は盗む、コイツのまわりの社員は辞める、

なんだこれはと、ずっと不思議に思っていました。
実はこれらは人格障害の最も基本的な行動だったのです。
「自己愛性人格障害」なんて言葉を初めて知りましたが、
これで全ての不可解な言動が説明できるのが、
これはもう驚きでしかありませんでした。

元々、その経験をひっそりブログで綴っていたのですが、
世の中には人格障害者が数多く存在していること、
ボクなんかは被害はまだ軽微な方で、
人格障害者によって人生を重いものにされている人がいること、
意外にもそのブログに大きな反響がありました。

このホームページは、それらを後世に記録として残すためでもあり、
人格障害者に対峙し理解を深めるためでもあります。

人格障害者のあまりの常軌を逸した言動は、
本当にこんな人間がいるのだろうかと、思う人がいるかもしれません。
そう思える人は、人格障害者とは接することのなかった幸福な人生です。

本文では、かなり辛辣な言葉も使っていますが、
ウソは書いていませんし、誇張もありません。
これらは全て本当にあった事なのです。
このホームページの主人公である 「人格障害者ウッキー」は、
残念ながら、実在する人物なのです。

Posted on 2012-01-06 | Category : その他 | | 5 Comments »
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コメント5件

 マリリン | 2018.02.19 12:46

せんち さん

はじめまして。昨日、「でこぽんの法則」を発見して熟読いたしました。「でこぽんの法則」に、せんちさんに感謝してもしきれません。ありがとうございます。

私がなぜ、昨日、熟読したのか。
それは、かねてから自己愛性人格障害であろうと思っていた母だけでなく、妹もそうであることが分かり途方に暮れたからでした。

長くなりますが、私の気持ちの整理のために書かせてください。

ダイジェストで気づいた経緯をまとめますと、昨年末に母からの罵倒に耐えられず私は「この、クソババア!」と反撃しました。

40歳を過ぎて「人生初の積み木崩し」です。きかっけは、私が実家の照明のスイッチの場所が分からないことに対して「なんで、わからないんだ!」と母が激高したことです。私は今の実家に住んだことがないので、普段、使わないスイッチやコンセントの場所など分からないのです。このとき、私は掃除機をかけていました。

「この、クソババア! 黙って聞いてればいい気になって! うるせえ。黙れ!」

というようなことを言うと、マッサージチェアに座って暴言を吐きまくってた母は、立ち上がることもできず、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしてました。私は手に持っていた掃除機の棒を「一生、黙ってろ」と言いながら振り下ろしたい衝動を自覚しました。

その一歩前で、掃除機を手放し、自分の衝動に戦慄した私は、自分の家に帰ろうと思いました。

支度をする私に母は(マッサージチェアに座ったまま)すぐさま反論してきて「これっきりでいいのか!」と捨て台詞を吐いたので「それでけっこうです」と言い、以来、会っていません。

そのとき、実家には妹もいて、私の後を追ってきました。私を責めるようなことを言いましたが、人格障害の母の言い分を信じていた妹は、まったく事実とは違うことを口にしました。なので、「それは、事実とは違う」と言い、私は帰宅しました。

その後、妹から電話があり何度か話をしました。妹とはもともと疎遠であり、この数年は会話らしい会話をしたことはありませんでした。私は「あのとき、殺意が芽生えた。私はまたあの罵倒を聞いたら、ニュースになるようなことをしかねない」と伝え「時間をちょうだい」と言っていました。

正直、「これっきり」ということを思うと、せいせいしていました。この時点では、妹のおかしさに気づいていなかったので「こうして、あなたと話せたのはよかった」ということを伝えました。ずっと妹とぎくしゃくしていたのは、母の影響だと思っていたのです。

母から何度かメールや電話がきましたが、すべて無視していました。

1月の下旬ごろ、母から「この前はごめんなさい。緊急事態! もし、気持ちが落ち着いていたら連絡をして」とメールが。

『なんだよ、緊急事態って。緊急ならその事態を書けよ』と、その芝居がかったメール文に白けた気分でおりました。(人格障害あるあるです)。それも無視していたら、妹から連絡があり、父が肺炎をこじらせて入院したとのことでした。

父に対してもいろいろと複雑な感情もありますが、私はとにかく母に会いたくなかったので顔をあわせないように、お見舞いをしようと思っていました。

その矢先。私はインフルエンザに罹患。診察時に医師に聞いたら「解熱後2日で復帰OK、というのは日常生活のことであり、病院にお見舞いに行くにはもうちょっと経ってからのほうがいい」と言われました。目安としては咳が出るうちは遠慮して、と。

結局、お見舞いにいかれずにおりましたら、おとといの夜、妹から電話がありました。

父は退院したものの、状態があまりよくない、会っておいた方がいい、という話でしたが「私はやっぱりお母さんには会いたくない。また、あの罵倒を聞いたら何をするか分からない自分が怖い」と言いました。

また、この一件から自分がいわゆる「アダルトチルドレン」であることに気づき、カウンセリングを受けたことを伝えました。

すると、妹は突然、激高。

「なに甘えたこと言ってるんだ! カウンセリング受けるって、自分は金があるって自慢か? 嫌味か?」

母が妹に憑依したのかと思いました。
そして、このひと言で私はすべてを悟りました。

妹も自己愛性人格障害だ、と。

そして、妹は「あんたは恵まれていたのに。私の方がずっとかわいそうだった」というようなことを言い始めました。「私が小学校のときに”いじめ”に遭っていたときも、あんたは楽しそうに学校生活を送っていた」などなど。

私たちは3人きょうだいで末の弟は知的障害者です。

そのため、私たち姉妹には苦労があったのは事実です。ですが、小学校は1学年70名程度の小規模校で(子供が多い時代でしたので、急遽、増設された小学校でした)、妹とは2学年、弟とは4学年違いますが、妹が言うように弟が障害者という理由で、いじめに遭っていたら、私も知っていてもおかしくない環境でした。

私自身はいじめに遭うどころか、先生や学校の配慮もあり、クラスメイトが弟も含めて遊んでくれたり、気にかけてくれていました。学校としては、そういう風に環境を整えていてくれていたのです。

弟のクラスメイトたちも然りでした。学校の先生方がとくに気にかけている児童に対して、そんな小規模校で小学生が誰にも気づかれずに「いじめ」などできるはずはないのです。仮にいじめられていたら、不登校や持ち物の紛失や破損などもあったことでしょう。妹はそうしたこともなく通学していたのです。

せんちさんがブログにも書かれていたように。

自分が「嫌われていた」が「いじめ」という解釈になったのでしょう。妹は今も小中高と学校時代の旧友との交流もない様子ですし、よく考えてみれば、学校時代に家に妹の友達が遊びに来た、という記憶もありません。

「あんたは楽しそうに学校生活を送っていた」と私をののしりました。お互い、四十路を超えているのに小学校の話? というのも驚きですが、ほかにも10年、20年も前のエピソードを引っ張り出して私がいかに「恵まれていたか」を激昂しながら話すのです。

背筋がゾッとしました。

父の具合がよくない、という事実よりも「モンスターが2人も……」という事実にめまいがしてきました。知的障害のある弟に対する妹の言葉にも寒気がしました。

「あんなロボットみたいな人生で、可愛そうと思わないのか! それに比べたら自分は幸せだと思わないのか」と。

私は弟と自分の人生を比べたことなどありませんでしたし、ロボットのようなどと感じたこともありませんでした。弟は感情も持っているし、私たちには「見えない」世界を見ているのだろうな、というような感覚です。

私は妹に言いました。

「かわいそう、って思ったことはないよ。ただ、『そうなんだ。障害があるんだ』って5歳のときに(弟の障害が分かった当時、私は5歳でした)受け止めたまま、それはずっと変わらないよ」

予想外の返答だったのでしょう。妹は「あ、そう」とだけ言い、また別の話題を引っ張り出してきました。もう、話していてもらちがあかないと感じた私は、

「とにかく、またお母さんから、罵倒されたら私は今度は何をしでかすか、分からない。『つい、カッとなって』という言葉にずっと共感できなかったけれど、それがなんとなくわかってしまった自分が怖い。それに、私は更年期に差し掛かっているから、精神症状のひとつとしても今までは我慢できたことが、できなくなることもあり得るって”お医者さんが言ってた”」

自己愛性人格障害者との会話のコツのひとつ。

「権威」を持ち出してみると、やはりあっさりと納得し「立ち入ったこと聞くけど、仕事はうまくいってるの?」と聞いてきました。

私は個人事業主なので「このご時世だから絶好調ではないけれど、なんとかやってるよ」と言いました。すると、今度は私が大きな組織で働いたことがないために、世間知らずであり、理不尽なことを我慢できないのだというようなことを言い始めました。

妹の発言を振り返ると「自分は正しい、間違ってるのはアンタ」、「自分の方が不幸、アンタはずっと恵まれていた」、「自分は偉い、アンタは甘えている」という図式です。

妹は、数年前まで実家でパラサイトシングルを続けていました。彼と同棲するために家を出たようですが(詳細は語らない)、お正月に実家に長く滞在していたので、最近、別れたのではないか、と推測しています。

パラサイトシングル時代も実家にお金を入れるようになったのは、30代後半ぐらいだと思います。そうした事実は「わきに置いて」、「家から出て自由になったアンタは恵まれている」と私を罵倒しました。

それもまた、事実とは若干、異なります。私は「もう、この家にアンタの居場所はない」と母に言われことをきっかけに、21歳のときに独り暮らしをはじめたのでした。

今、私はこれからどうしたらいいのか分からずに途方に暮れています。

病床の父のことは気になりますが、2人のモンスターと対峙するために気力や体力、時間を使いたくないのです。

「死ねばいいのに」

本当にそうですね。モンスターに消えてもらいたい。

今、誰かに

「あなたがしっかりしないと」
「家族を支えなくちゃ」
「お母さんだって、お年なのだから助けてあげないと」

そんなことを言われたら、心がポッキリと折れてしまいそうです。

ただ、今回、妹の異常さに気が付いたこと。そして「でこぽんの法則」を熟読したことで、パズルのピースがすべてハマったような気がしています。今まで不可解だった出来事の数々が「そういうことね」と腑に落ちました。

せんちさん、ありがとうございます。

ちなみに、母の母、私の祖母はすでに他界しましたが、生前の様子から察するに自己愛性人格障害であったと思います。このことからも人格障害の「種」のようなものは遺伝性なのだと思います。

そして、母と妹はともに中間子です。
(理不尽さを覚えやすい出生順位です)

人格障害の「種」を持って生まれ、人格障害者に育てられたという生育環境が種を芽吹かせる。

そういうことなのかな、と思います。

私自身はおそらく「種」は持っていなかったけれども、生育環境によって人格障害的な認知の歪みを持っていた部分が多々ありました。白黒思考とか、他人の評価を自分の価値におきかえるところとか。

それが「生きにくさ」につながっていたため、「本来の自分」を取り戻すために、それなりの時間やお金を費やしてきました。

きょうだいが多かった時代。

「女性だから進学しないでよい」「長男だから家を継ぐ」といった理由で明確に線引きがあった時代。

「貧しさ」がデフォルトであった時代。

戦争があり、命の危険が日常だった時代。

そういう時代背景があると、あまり種が芽吹かないけれども。
今のような時代には、種が発芽しやすいのかも知れませんね。

長々とコメントをいたしまして、失礼いたしました。
私自身の整理になりました。

今はまだ途方に暮れておりますが、「これから」を考えていくためにも。「でこぽんの法則」を心の支えにさせていただきます。

本当に本当に、救われました。
どれだけ救われたか、言葉では説明できません。
ありがとうございます。

母がいわゆる「自己愛マザー」であること。

 せんち | 2018.02.19 14:40

*** マリリンさん
扉が開いてもらえたら嬉しいです。
しかし、「それ」と気付くことが第一歩であるならば、
これからの対処、相手に対しても、自分の心に対しても、
それが次の一歩になると思います。

 マリリン | 2018.02.19 15:43

せんちさん

ありがとうございます。
あらためて、自分のコメントを見たら
本当に長々と書いてしまっていて、
(しかも、重い内容で)
すみませんでした。

初めてお読みになる方のことを
分量、内容ともに
考えていない「重さ」だなあ、と反省しました。

でも、書かせていただいたおかげで、
自分の気持ちの整理が付きました。

これまで、母が独自の人格障害的な
一貫性のないルールブックを振りかざし、
些細な事で父や私、妹を罵倒しまくっていました。
父がメインターゲットでした。

父は自分がメインターゲットとなることで
矛先が私に向かないようにしてくれていたのかな、と思います。

そして、父は妹にも母のコピーのごとき、
類似性があることに気づいていたのだろうと。

(そう考えると、妹が父に対して今だに
根に持っていて、まるで昨日のことのように
怒り狂って語る20年以上前のエピソードに合点がいったのです)

私が母に対して覚えた衝動は、
「父を、家族をこれ以上、苦しめるな」という
気持ちからのものでした。

誰が罵倒されていても、
それを聞くのは堪えがたいものです。

「やめなよ」と言ったとしても、
火に油を注ぐだけ。
嵐が通り過ぎるのを「待つ」間、
心がバラバラにならないようにと、
じっと耐えていくしかないのです。

そういうことを「手っ取り早く終わり」にしたい。

その衝動が自分の中にはじめて沸き上がったことに
私は、怯えているのだと思います。

私はまだ「自己愛ルールブック」を持ち出されると、
無意識のうちに、そのルールブックにのっとって
反応してしまいます。

せんちさんが書いてくださった「次の一歩」。

それは、私が「私のルールブック」を持って、
そのルールからブレることなく
毅然と対応することだと、と
コメントをいただいて気が付きました。

ありがとうございます。

シリアスな初コメントをしてしまいましたが、
私が私のルールブックからブレずに
対応するためにも。

毅然としていきたいと思います。

一度、開いた扉を閉じて
見てみぬふりをすることもできたけれども。

もう、扉は全開にして
いくしかない!!!
そんな風に感じています。

ありがとうございました!

 せんち | 2018.02.19 17:51

まず扉が開くことが第一歩なんですね。
だけど病気の名前はわかっても、それを治療する方法がわからない。
それが第二歩目からのつらいところです。

書くことで整理できる、その効果はてきめんです。
またコメントをお寄せください。

 マリリン | 2018.02.21 22:49

せんちさん

>書くことで整理できる、その効果はてきめんです。
>またコメントをお寄せください。

ありがとうございます。

第二歩目からのツラさ、治療法がないこと。
本当にその通りですね。

私自身の現状を考えていて、
治療法に加えて「解決法」もないなあ、と感じて。
それが悩ましいのだと思いました。

「責任からは逃れたいけれど、自分が中心にいたい」

という矛盾した自己愛さんの要求を満たすためには、
関係各位に膨大な負担を強いることになるわけで。

「責任から逃れるなら、中心から外れる」
「中心にいたいなら、責任を取る」

どちらかを採択することができるならば、
周りの人にとってそれが
「解決法」になるのですけれどもね。

私自身、この数日で固く心に決めたのは
自己愛さんたちにどう思われようが、
どう吹聴されようが、
その結果、関係各位に私がどのように思われようが
「自分が嫌なことはやらない」
というスタンスで毅然といよう、ということでした。

「無理です」の一点張りで
一歩も譲らない姿勢でいること。

それが、今の私にできることなのかな、と。

譲歩したとしても悪いのは私ですし、
譲歩しなかったら悪いのは私なので、
どっちにしたって同じことですものね(笑)

という風に今は思っております。

「私としてはやはり、
自分の心と体がいちばん、大切なので
そちらを優先いたします」

という風にいようと思いました。
そう考えたら、少し力がわいてきました。

また、コメントさせていただきますね!!

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