自己愛性人格障害(136) 無知の涙 その2

人格障害者がその本性を露呈する瞬間ということに関連して、自分が出来ない事を相手が出来てしまい、大勢の前でそれが証明されてしまった時、前回は対象が外部の人だった場合の例を挙げた。では社内の同僚の場合だったらどうするか。今回は、その内のひとつを紹介しよう。

新しく社員を募集したところ、他の会社でバリバリやっていた経験者が入社してきた。それが西子さんである。面接を任せた人格障害者ウッキーが興奮している。「もう~すごく話が合っちゃって~、面接終わった後も2時間も話し込んじゃったわ~」 「社長がダメって言ってもわたしがオッケーするから!」。

しかし、西子さんは、自分が仕事が出来るだけに、人格障害者ウッキーの知識がハッタリであることを瞬時に見抜き、テキトウにサボって仕事をしていないことにも気が付いた。すぐに人格障害者ウッキーを完全に下に見るようになった。自己愛性人格障害(83) 人格障害者はいかに生まれるのか その9  ここで人格障害ウッキーをバカにして、モノマネをしたのも西子さんである。

さて、ヘルパーさんが訪問介護に出ると、必ず実施記録というものを書かねばならない。ワシの会社では、それまで手書きで書いていたのだが、フォーマットを決めてチェック方式にすれば便利というので、西子さんの発案で、複写式の実施記録を作ることになった。以前勤めていた会社でのやり方だそうだ。全員が揃ったところで、西子さんが、これを提案した。もちろん、みんなの意見は反対であるはずがない。しかし人格障害者ウッキーは黙り込んで賛成も反対もしない。

ワシは言った。「では西子さん、手書きでいいので、概要を書いてください。それをワシが印刷用にイラストレーターのデータにするから」。ワシが手書きで良いといったにもかかわらず、西子さんはきっちりデータで作ってくれた。ワシはそのデータを印刷用に変換するだけで簡単に出来た。こちらが要求した以上を返してくれる人なのである。

西子さんが発案し、全員が賛成し、 フォーマットも西子さんが作成、データ化をワシがやり、印刷にまわした。この一連の作業に、人格障害者ウッキーは一切かかわっていない。さて印刷があがってきたその日、全員がこれは便利と喜んでいた。ところが人格障害者ウッキーはムスッとしている。そして、みんなが帰宅して誰もいなくなった頃を見計らって、いつものように足をクネクネ引きずりながらワシの机に寄ってきて「独り言」を言う。「わたし、本当は、こんなの必要ないと思うんだけどねー」

いや、人格障害者ウッキーも、この複写式の実施記録が必要だということはわかっている。しかし、これが自分の発案ではないこと。必要なものにもかかわらず、自分が知らなかったこと。この一連の作成作業に自分が一切関わっていない事。なにより、今までの自分のやり方を、あろうことか「良い方向に」変えられてしまったこと(例えそれが「改善」であっても、人格障害者は自分を否定されたように受け取る)、そして、さらに悪いことに、西子さんはさすがだという雰囲気が社内に醸成されたこと。自分以外の誰かが評価を得ることに我慢がならないのが人格障害者である。人格障害者ウッキーは、内心チッと舌打ちしていたに違いない。

「わたしは本当はいらないと思っている」本当にそう思っていれば、最初にそう言えばよいだけの話である。しかし実際は、西子さんの言う通り、悔しいが仕事上で必要だというのは本人もわかっている。しかし素直に認めることは人格障害者としては絶対に出来ない。だから、すべての作業が終わり、もう後戻りできないという段階で、自分の無知、自分の貢献度ゼロを言い訳するために、西子さんの評価を毀損するようなことを言うのである。

さて、西子さんも、 他の社員の例に漏れず、人格障害者ウッキーが原因で退職することになった。その時、人格障害者ウッキーは「あの人とは、最初から合わなかったのよね~」と皆に聞こえる「独り言」を言う。入社時は「もう~すごく話が合っちゃって~面接終わった後も2時間も話し込んじゃったわ~」。辞職後は「あの人とは、最初から合わなかったのよね~」。今さら、このような矛盾を書いても、人格障害だという前提で見れば驚くに値しない。人格障害者ウッキーは、自分が面接して入社させた責任逃れをし、辞めるのは西子さんが悪い、わたしの責任じゃないということをアピールしているのである。オマエ、最初と言ってること違うじゃないかと、仮に詰問したらどうなるか? そりゃ「そんなこと言ってない!言ってない!ウッキーッ!」に決まってるだろう。

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5 thoughts on “自己愛性人格障害(136) 無知の涙 その2

  1. ろん より:

    「私は必要ないと思うけど、みんながそれでいいって言うならいいです」
    うちの自己愛が、自分の主張を潰された時&責任逃れしたい時によく使う言葉です。
    あと、自己愛被害を理解してくれている同僚が言っていたのですが、自己愛は会議などで「実は」「ぶっちゃけ」を使う頻度が異様に高く、でも話す内容は誰でも知っているようなことらしいです。常に優位に立ちたい現れなのでしょうね。

    1. ぽんず より:

      必要とされたい欲求はもの凄く強いくせに責任は取りたくない。
      矛盾してますが結構そういう人って多くて、
      その最たるものが自己愛ですね。
      「僕はいいんだけどね」は
      うちの自己愛もよく使用するらしいです。
      他責と自分は寛容であるというニュアンスが含まれた、都合のいい言い方ですよね。
      うちの自己愛には責任を与えるような仕事をさせていませんが、
      それでも自分のミスを指摘されるとお客さんのせいにしたり
      「たまたまだ」と言い訳。
      同じミスを繰り返しても自己愛には全て「たまたま」らしい。
      昨日は出社するなり、自己愛の仕事を私がすでにやっていたので、
      すぐさま裏に引っ込んで行きました。
      (社員に苦情を言いにいったと思われる。
      僕の仕事を私がやっていると)
      歩き方やドアを乱暴にあける様を見て怒っているな、と
      すぐにわかりました。
      行動パターンがいつも同じなのです。
      そうやって「自己愛が嫌がること」をわざとやって
      「来たくなくなる」ように仕向けている最中です。

  2. せんち より:

    人格障害者はとにかく責任感が希薄で、
    本人の意思ですら、相手の判断に委ねた形式をとります。
    自己愛性人格障害(101) 責任逃れの基本パターン
    「あの人が言ったから」
    これは人格障害者の定番の言い訳です。

  3. ゆず より:

    場面は違いますが、うちの自己愛も責任取るのが嫌で、外食しようとなっても絶対に店を決めません。
    人に任せて、ハズレだったらムスッっとして食べて、後で店にクレームつけてます。
    店に落ち度はないです。
    ハズレだっただけで(笑)
    こっちはいつキレるかとハラハラ。
    本当に嫌でした。

  4. ゆず より:

    今、自己愛夫がうるさいので、
    あんたは自己愛性人格障害だよ。調べてみな。
    と、思わず言ってしまいました。
    そしたら違うと否定。
    まぁ当たり前ですよね(笑)
    診断されたのか?と言うので、水曜に医者に話してみようと思います。
    (通院中なので)
    夫はネット依存が激しいのですが、これも自己愛あるあるみたいですね。
    誰かに構って欲しくて、ネットでつながっていたいという。
    実際、色々絡んで構ってアピールしてます。
    コミュの荒らしにまで絡んで、たしなめられたり。
    周りの知人は見て見ぬふりか、特に反応はありません。
    荒らしに構うほうもまた、荒らしですからねぇ(笑)。

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